『かげきしょうじょ!!』12巻感想「さらさと愛は似た者の同士だったのかもしれない…」

2022/04/05『かげきしょうじょ!!』の12巻が発売されました。

私はつい最近本作のテレビアニメを視聴して入ったビギナーで、そこから原作コミックを手に取りました。既刊分を通読したのもつい最近ですし、新刊発売をリアルタイムに迎えるのも初めてです。
なので、大した感想を書けるほどしっかりとしたファンでないことは初めに注記しておきたいです。

そんなにわかファンの私が感じた12巻の感想をば失礼して。

以下、ネタバレ注意です。
本作『かげきしょうじょ!!』は思春期の少女たちを主人公に、青春の葛藤やアイデンティティの確立といった王道テーマを、瑞々しい切り口と情感豊かな筆致で描く傑作コミックでございます。
宝塚歌劇団・宝塚音楽学校をモデルにした歌劇の世界にも魅せられること間違いなし。アニメも非常に完成度が高い内容になっておりますので、作品をご存じない方は購読・視聴をよろしくお願いいたします。何卒。

さらさと愛は似た者同士だったのかもしれない

そもそも、渡辺さらさと奈良田愛は、とても対照的なキャラクターとして描かれていました。
天真爛漫で人なつっこく、うざがられるぐらい真っ直ぐな人気者のさらさ。男性や母親、JPXメンバーとのコミュニケーションをシャットアウトして、物事に対する温度が非常に低い愛。
およそ似た者同士とは言えない2人が出会うからこそドラマティックであり、この物語を推進してきた大きな力であったことは確かだと思います。

しかし12巻を読み終えたことで、私は「2人は似た者同士だったのかも?」なんてことを感じるようになったのです。

2人の共通点は「孤独」だと思います。

奈良田愛の孤独はわかりやすいと思います。先述のとおり、自分から周囲とのコミュニケーションを拒絶して孤独に陥っている側面がありました。これまで友達ができたことがない、人付き合いが不器用、という点も孤独性の現れと言えるでしょう。
彼女はここまでの物語で、その孤独の大きな部分を克服しつつあります。
12巻においては小園桃と親交を深めたにとどまらず、母親に連絡を取り、そして本心を伝えるという最も困難なコミュニケーションの一つを試みるという驚異の成長っぷりを魅せてくれていました。
本当に、成長したんだね…。(涙)

対して渡辺さらさの孤独は、本書の中学時代の描写までは、あまり目立つ描かれ方をしてきませんでした。歌舞伎に対する挫折はさらさの中に強烈な疎外感を植え付けたとは思いますが、周囲にはケン爺ちゃんをはじめとして素敵すぎる人たちがいましたし、親交のあった暁也と今生の別れになったりもしていません(例の一件から会っていない人はいる模様ですが)。
では、12巻で描かれたさらさの「孤独」はどういった性質のものだったのか?
私はそれを、「共に舞台に上がる仲間の不在」だと考えました。

中学生のさらさは職員室で、すでに演劇部が廃部になっていることを知らされます。部活を再建しようにも、友人には他にやりたいことが。さらさはそれを決定的な挫折とは捉えていない様子ですが、この「孤独感」は誰しもが理解できる部分ではないでしょうか?
例えば、好きな漫画を布教しても誰にも読んで貰えないときのような寂しさ。共にこの熱に浮かれてくれる者がいない孤独感。
気を取り直してダンス部に入ろうとするも同様に部はなく、チアリーディング部に入ろうとしたら体育館の女王になってしまう始末です。他部の助っ人に引っ張りだこになるというのも、「同じ熱を共有していない、メンバーとしてコートに立っていない」という点で、孤独が強調されていると思います。
そして極めつけは、「1人ベルばら公演」を暁也に邪魔された後、彼が持っていた台本をチラ見するシーン。暁也は誰かと舞台に立ち、さらさには未だにそれがないという対比になってる気がします。

さらさがなぜ、演技の最中に暴走状態になるのか?
作中の表現で言うと、彼女が憑依型の天才であり、役に入り込みすぎてしまうから。それはここまでも幾度となく表現されてきた、さらさの持つ可能性の発露であると思います。
でも同時に、彼女にはまだ「誰か仲間とステージを共有する」という感覚が真に身についていない(=一種の孤独)ということでもあると思うんです。

ちょっと強引かもしれませんが、孤独が彼女らの共通点ではないかと感じた理由です。

演劇シーン

授業中のさらさは、自分と役の境界線が曖昧になったまま演技に没頭してしまいます。周囲とのアンサンブルが生じず、どんどん突っ走っていくさらさは愛に顔を掴まれることで正気に戻り、「演技」に戻ってくることができました。

このシーンは前述の「孤独」「仲間の不在」の観点で読むと、とても味わい深いシーケンスになっていると思います。

まず印象的なのは、「さらさとの対話なんて諦めろ(意訳)」と母に言われた愛の返答です。

知らなかった沢山の事を教えてくれた かけがえのない人よ
体力と気力が削られても! 私は 私の仲間と
向き合って生きてゆきたいの!!

さらさの孤独を癒やすために必要なのは、同じ舞台に立つ「仲間」。ここで愛はまさにさらさのことを「私の仲間」と言っています。

さらさの周りを取り囲む鏡の舞台セット。これはさらさオンステージ、つまり共演者も観客も不在の舞台という意味でしょう。鏡は自らを映す、自らしか映さないものなので。しかも、愛が手を差し伸べその舞台が爆ぜるその寸前、彼女の孤独のステージの源泉である「1人ベルばら公演」のカットが差し込まれるのがニクいところですね。
舞台に立つ仲間である愛が手を差し伸べ頬を掴んだことで、舞台セットは割れる。その時2人が立っている背景は?

そう、舞台なんです。
共演者がいて、観客がいる舞台。

この瞬間こそ、愛が求めた仲間を手に入れた瞬間
そして何より、さらさに足りていなかった舞台仲間を真に手に入れた瞬間なんだと思います。
私はその直後のさらさ(オルフェウス)の台詞が好きです。

ならば俺は後ろを振り向かず 一言も言葉を交わさず
ひたすら歩いてゆこう
俺には愛がある

未来への話

かつてさらさは「トップスターになる!」と言っていました。
しかしそれは自己言及であって、自分以外の人間が舞台に立つという視点は、欠けている訳ではないですけど含まれてはいません。自分がトップになる、オスカルになるというのは他者を前提とはしていないのです。

ところが本書のラスト、愛の宣言とそれを受けたさらさの返答は、「他者を前提とした言葉」となっています。

私 娘役トップになってさらさと銀橋を渡る!
そしたらさらさは やっぱりなる早で
トップにならないといけませんね


斉木久美子先生、ありがとうございます。
『かげきしょうじょ!!』をおすすめしてくださった方、ありがとうございます。
こんなに素晴らしい作品を知ることができて、幸せです。


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