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ハマかぶれ日記231〜何だか、カリカリ眠れない

 プロ野球にオリンピックまで加わって、夜、神経を刺激する材料に事欠かない。わが横浜ベイスターズは5連敗して首位・巨人の背中が日ごとに遠のいている。横浜からパリの空に目を転じれば、昨夜など、お家芸の柔道で男女ともに準々決勝で負けたりする。朝5時に散歩に出るならどうしても午後11時には寝なければならず、テレビ観戦も中途半端なところで打ち切って寝床に入るものの、何だかカリカリ興奮して眠れない。したがって朝、起きてもだるい。ああ、だるい。
 新聞受けから新聞を取り出し、1面の見出しでその後、フェンシングで金メダルという嬉しい出来事があったと知るが、それで今更、眠気と気だるさが去るわけでもない。かと言って、何もしないわけにはいかない。6月には4本観た映画を7月はまだ1本しか観ていないことに気づき、行きつけのアップリンク吉祥寺に足を運んだ。
 ラインアップからチョイスしたのは、台湾映画の「流麻溝十五号」。1950年代に国民党の蒋介石政権が行なった「赤狩り」で思想犯として身柄を拘束され、台湾東部に浮かぶ小島、緑島の「新生訓導所」に収容された若い女性たちの悲話を描いた作品だ。題名は、訓導所のある所番地。台湾版「網走番外地」といったところか。実話に基づくストーリーは迫真性に富んでいて、グイグイと時代の嵐の中に引き込まれていく。
 1947年2月に台北市で起きた市民の暴動「2・28事件」に端を発した国民党政府への反体制運動の盛り上がりと、それに対する当局の政治的な弾圧は「白色テロ」と言われ、1987年に収束するまでの間、1000人を超える知識人たちが処刑されたとされる。映画の設定は1953年であり、弾圧が猖獗を極めた頃だ。その中で、自由を求める一人一人の人間として過酷な環境下であっても希望を求めていく学生や看護師、ダンサーなど様々な階層からなる収容者の姿が、胸を打つ。ほとんどが冤罪とあっては、尚更だ。
 映画ではしばしば日本語が使われた。長い間、日本統治下にあった台湾では、今もなお日本語を話せる老人は少なくない。今から20数年前、仕事で2週間ばかり台湾に滞在した時に、韓国とは異なり、日本政府が戦前、かなり融和的な政策をとったせいで親日の雰囲気が色濃く残り、時に応じて日本語が現地の人たちの口の端に上がることを知った。
 映画の時代なら、台湾生まれの人はもっと普通に日本語を話しただろう。大陸出身の看守が解さないと見るや、日本語で意思疎通するシーンがしばしばあった。実際に何度も耳にしたことのある台湾語訛りの日本語に、台北や台中の輝く青空の下で飲んだマンゴージュースの甘さをふと思い浮かべていた。
 スクリーンには最後に、実際に白色テロの犠牲となった人たちの実名と写真が映し出された。処刑場に向かう時に撮られたとおぼしいラストショットの多くが笑っている。映画中でも同様に、クリスチャンの女性が処刑台に向かいながら微笑むシーンがあった。世直しのための、覚悟の晴れがましい死。その尊い胸の内に対し、ジュースの甘露を思い出すなど誠に不謹慎と恥じるべきだろうが・・。
 それにしても、この時期にこの映画が作られた意味は何だろう。もしかして、お隣の大国が目指す「ひとつの中国」の、そう遠くない実現を意識している? いやいや、暗い過去もきちんと総括できるぐらい、台湾が国として成熟した証し。色々と考えても、もとより余り頭は回らない。
 だるさもだるし。昼からCパップでも装着して一眠りすることにしよう。ナイターはまだ先。とりあえず今は、カリカリの材料は少ないし。 

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