見出し画像

ハマかぶれ日記207〜また逢う日まで

 往年の大女優・久我美子さんが今月9日、93歳で亡くなったという。きのう、所属する芸能事務所が発表した。また一輪、昭和の香りを抱いた名花が散った。寂しい。
 その名前が強く頭に刻まれたのは、戦後の混乱期である1950年(昭和25)に公開されて大ヒットした今井正監督の映画「また逢う日まで」によってだ。太平洋戦争中、米軍機による空襲下の東京で束の間の逢瀬に命の焔を燃やした男女の悲恋を描き、映画ファンの感涙を誘った。久我さん演じる美術学校生の小野蛍子と、二枚目俳優の岡田英次さん(1920〜1995年)演じる反戦思想の青年、田島三郎が別れ際、窓ガラスを挟んで交わすキスのシーンは日本映画史上に輝く名場面として今に伝えられている。
 確か大学に入ったばかりの頃、池袋か高田馬場の名画座のような地味な映画館でリバイバル上映されたのを観た。純粋に映画作品として興味があったのではなく、高校時代に読んで心酔したフランスのノーベル賞作家、ロマン・ロラン(1866〜1944年)の短編小説「ピエールとリュース」を原作に作られたと聞いていたからだ。実際に映画を観て初めて、久我さんの凛とした美しさに魅せられた。
 「ジャン・クリストフ」や「魅せられたる魂」といった長編小説が有名なロランだが、読書に耽っていっぱしの文学青年気取りだった高校2年生のころ、前2作以上に心に残ったのが「ピエールとリュース」だった。
 こちらは映画よりひと昔前の第一次大戦、ドイツ軍の空襲下のパリが舞台。当然のごとく筋立ては映画と似ており、戦争の悲惨さを強く糾弾するモチーフも共通する。読んだ当時は、ベトナム反戦などを訴える学生たちの運動がいまだ活発な時期であり、そうした風潮に影響されたところはある。だがそれ以上に「恋に恋する」17歳という年齢が、かなわぬ恋の切なさ、悲劇的な結末に激しく共鳴したということだろう。
 わが国のノーベル賞作家、大江健三郎(1935〜2023年)の初期の作品に「セヴンティーン」がある。性的な煩悶と政治的な葛藤に身悶えする、触れたら切れるような鋭利な17歳の姿を描き出してセンセーショナルな話題を読んだ。その主人公に比べれば、なんとも生温い青春だったなあと、1本の訃報から遠い昔を愛おしく思い起こした。
 さのうまで3日間、福岡、大阪と渡り歩いてきた。「会える時には会って、うまい物を食べ、うまい酒を飲んでおかなくてはね」。詰まるところ、そのことだけを古い友人、知人と確認して回る旅ではあった。最終日の夜、招待された大阪天満宮近くの日本料理店「有」では、澱みなく供された季節の肴のうち、稚鮎の塩焼きを蓼酢で食べる定番の一品にときめいた。人も食も一期一会、「また逢う日まで」大切に心のボックスにとどめておこう。
 わが横浜ベイスターズは、旅の間、勝ち続けていた。以前、日記に書いたように、試合を観なければ勝つ。「まったくう」と少しこぼしたら、「だから、観なけりゃいいじゃん!」。パートナーが、まるで励ますかのように力強く声をかけてきた。
 あ〜あ。わかるかなあ、わかんねえだろうなあ。何事も一期一会と感傷に耽る69歳、「中期高齢者」の複雑な心模様が・・。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?