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ハマかぶれ日記203〜遥かなるミッドウェー

 きょう6月5日は、今から77年前の1947年(昭和17)、日本が太平洋戦争で敗戦へ突き進む大きな分岐点となったミッドウェー海戦が行われた日だ。ハワイに近いミッドウェー島の争奪を巡って日米の艦隊が激突。日本は虎の子の空母4隻を一気に失い、太平洋の制海権を手放した。
 赤城、加賀、蒼龍、飛龍。1960年代前半、小学生の頃、撃沈された空母の名前を同級生に教えながら、「あそこで勝っとれば、戦争も勝っとったかもしれん」などと、戦争もので溢れていた当時の少年漫画誌で読みかじった浅薄な知識をひけらかしたりしていた。この手の、あとで振り返ると顔が赤くなる記憶はいつまでも付きまとうから始末に負えないものだ。
 1984年(昭和59)に上梓され、今でも読まれ続けている軍事、歴史研究者ら6人による共著「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」では、ミッドウェー海戦は目立つ戦いだっただけに第1章で取り上げられた。そして、島の米軍基地を壊滅するのか、近づく米軍艦隊を撃破するのか幹部間で意思統一がなされておらず、最後まで目標を絞りきれなかったことが最大の敗因と分析されている。
 陸上攻撃用の爆弾と艦船攻撃用の魚雷と、どちらを攻撃機につけるか迷い、一度つけたものを外したり、またつけたり。右往左往しているうちに、飛来した米攻撃機の餌食になった。今風にいえば、「コミュニケーション障害(コミュ障)」による失敗ということだろうか。昔、ある会議で周知の故事と盲信し、ここは迷わずいくべきだという思いを込めて、居並ぶ部下たちに「爆弾か魚雷かじゃないだろう」と言ったら、皆、ポカンとしていた。こちらも同じコミュ障の轍を踏んでいるのだから、世話はないが。
 何年か前、福岡で勤務していた時、北九州市の小料理屋で仕事上、付き合いのある会社の人と杯を交わしたことがある。間に入った知り合いの顔を立てての会食のセッティングだったが、とにかく一方的に仕事上の要求をまくしたてる人で、せっかくの地酒も肴もうまく感じない。少し間を取るために、「三隈(みくま)」という店の名前に思い当たって「確か、川の名前ですよね」と店主に訊くと、「そうです。大分の」と返ってきた。そうか、あれだ。すぐに頭をよぎったのがミッドウェー海戦で空母の援護に当たって一緒に撃沈された重巡洋艦「三隈」の航空写真だ。
 ぐるぐると海面に描かれた空襲回避のための必死の白い航跡も虚しく、被弾して黒煙を上げ、沈みつつある。米軍機が撮影した海戦写真の中でも有名な1枚。「三隈が飲みの舞台では、道理でミッドウェーのようにコミュニケーションが取りにくいはずだわな」と悟った。というのは大嘘で、実は店主の言葉に接ぐ穂もなく、また話は仕事に戻って、相手の饒舌を黙々と聞き流したのだった。
 そんなミッドウェー海戦にまつわるあれこれを思い出したのは、3対1でオリックスバッファローズを破った昨夜のわが横浜ベイスターズの試合ぶりに珍しく感心したからだ。1対1の同点で均衡を破った7回の1点、続く8回の1点はともに、出した走者を泥臭く犠牲バントや進塁打で進め、最後は内野ゴロを転がしてもぎ取った。ともすれば大味に流れる傾向のある攻撃陣に待望の緻密さが出た。「神は細部に宿る」のだと、拍手、拍手の夜だった。
 さて、今夜は。なになに、予告先発はジャクソン。米国人らしく、バッファロー狩りはお手のものだよね。神を手のひらに宿らせて、絶妙のピッチングを。お得意のノーコンはダメよ!
 
 


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