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否定的な見方はよくないって思うことがネガティブ。

本当に、ネガティブな感情がわかないなら、それに越したことはないと思っている。
でも、それはなかなかレベルが高い。まだまだ修行中の私は、ネガティブな感情(黒い感情)がわいてくる。

そんなときに「こんなこと考えたらだめだ」って思ってしまう。

でもよく考えたら、「だめだ」ってワードこそ本当のネガティブ。


今日の出来事。
買い物でレジに並んでいるとき、私の前の前でレジ打ちが終わっている女性が、無人会計機(なんて名前?)の操作中に独り言と思われても仕方ない顔の向きと声量で「クレジットどこ?」「できないわ」って言っていた。
レジの方は私の前のおじさんの商品を打っていた。
でも、無視はできないから、途中で手を止めてレクチャーしに行った。

「優しい」

次、私の番。

すぐそばから聞こえる独り言。「え、わからない。」「どうしたらいいの」
レジの方はちょっと止まって考えて、でも無視はできないから、もう一度見に行ってレクチャーした。

「優しい」

無事会計を終えた女性は、そのまま去った。

ここで私の中に芽生えた感情。
「教えてもらったら、ありがとうは?」

こう思った後にすぐこう思った。
「あーそんなこと考えたらダメダメ。」



ほんまに、だめなんだろうか。

その「そんなん考えたらダメ」って考えこそ良くないのでは?

自分の素直な心の声にを否定することこそが自分を否定することなのでは…


そんな些細な葛藤が、頭に残って少しの間自分の機嫌を戻すことが難しかった。

最近は自分の機嫌をとる必要はなかったのに、なんで今日はこうなったんだろうか…。

春だから…?いや、それは関係ないか。むしろ逆か。
それとも春だからとR-1をやめたから??いや、それは…なんか関係あるかも。


帰宅後、どうしても自分の機嫌が取れなくて、夫に出来事と感じたことを伝えた。

そしたら、「そうやね、ありがとうって言えば良かったのにね。」って言った。


そこには、ネガティブな印象は全くなく、人に助けてもらったら感謝を述べた方がいいよっていう簡単な話に落ち着いた。

ただそれだけなんやな、って思ったら急に自分の機嫌が良くなってきた。

そして、こんな風に思えた。
生活してると色んなところに「ん?」って思うことが出てくる。

その度にひっかかるのは、自分の生活を見直すための行為。
自分はありがとうは言いますか?
人の時間を奪いませんか? 
教えてほしいって頼めますか?


否定的なんじゃない、私を振り返るための反応。

だから、反応があったときに、自分をだめだって思うのはやめよう。
思うのは自由。

そんな風に考えていこうかなって思えた1日だった。


自分の機嫌は自分でとりたい。
それができなくなったらどこかを見直した方がいい合図。


春の始まり、少しのことに敏感に反応した私に対して否定的な反応をみせた自分がいたので、少し考えてみました。



大好きな球団TのO監督が言った。

ハイタッチを、パーで統一する。パーの方がじゃんけんで強いから。

ハイタッチ1つでも、勝つことにこだわる。
思考の刷り込み。行動の刷り込み。

私はこの考えが好きです。


実際に私は勝敗を競うことも、手をひらいて誰かとタッチすることもないけど、要は小さな意識とそれによる行動の積み重ねが大切だと思った。
最初は今までの癖でグータッチしそうになるけど、慌ててパーにする。
パーの方が強いから。


ネガティブな感情が沸いたら、ダメだってって思っちゃうのを打ち消して、自分の振り返りに使る。
自分の機嫌は自分でとりたいから。



まだまだ難しいけどね。

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