失った後も完璧な

読むならば人生で今が1番ベストなタイミングだと思いました。正解でした。恋をしていました。

しょーもない歌にほろ酔いで頷いてしまうような、抱きしめるだけでこの人と結婚するんだー、って思ってしまうような、

1人で食べても何とも思わないものでも2人で交互に食べるだけで死ぬほど絶品に変わってしまうような、

雨の日憂鬱な中でも腕組んで見せびらかして歩きたくなるような、

そんな恋を思い出した。

手を離したその日に、「超ビビリだから1人じゃ見れないような映画も2人なら見れたっけな、これから見たい映画が公開されたとしたら誰を誘えばいいんだよ」

って思ってしまうほどには自分だらけだった、あの恋を。

今更だけど、なんで隣にいるだけであれもこれも全部大丈夫な気がしてたんだろう。

例えば声とか、笑った時の鼻のあたりにできる笑い皺とか、魔法みたいな手とか、ほんの少しだけ湿気の多いあの部屋とか、天津飯とか、

もっと言えばたまに言葉がうまく伝わらないこととか、デリカシーないこと言っちゃうこととか、その度に傷ついたり失望してた自分とか、おんぶはしてくれないとことか、起こしても起きないとことか、

少しずつ繰り返して手に入れた何気ない日々に教えてもらったことが全部まとめて大丈夫の理由になっていたのかもしれない。

別に最後まであの人は正義にも神様にもならなかったけど、そのせいであんまり気づかなかったけど、きっとこれは

完璧な、完璧な恋でした。

特別な日のことなんて対して大切にしなくても勝手に特別で居続けてくれるだろうし、
例えば旅行ならそこに行けば勝手に少しは思い出すだろうし、でもそうじゃなくて

抱きしめてないと薄れそうな3回目のアラームの音とか、「トイレットペーパーって案外高いよね」って言いながら歩いたスーパーからの帰り道とか、いつのかわからない2リットルのペットボトルとか、寝落ちしたあの人の携帯を充電器に刺す時の音とか、

ずっと行きたかった鉄板焼き屋さんとか焼肉ランチに行けた日、よりも閉まってたせいで行ったハンバーガー屋さんとか、途方に暮れて迷い込んだ精肉店のメンチカツとか、時計見て絶望した15:23とか、

そういうことをわざと覚えていたいって思う。

それこそが「ふたり」だったし、思い出にしてしまいたい。

悲しさの正体は幸せだった、って言うにはあまりにも十分すぎるほどの日常をありがとう。
そんなことを考えた。思い出した。

完璧でした。ちゃんと、恋をしていました。

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