恩師のバージンロードを逆走する

最近、バイトを入れまくっている。
来年から週5で働くための予行練習も兼ねているが、もちろんお金が欲しいからである。
そして最近文字を書きたくてたまらないのだが、話題といってもバイト、家の往復であり真新しいことはない。

なので、保育園のころの話を書く。

私が保育園に通っていたころ、たしか年中さんだったときだ。
担任の先生が結婚した。

私はその先生をとても慕っていたつもりであった。
だが、小さい頃の自分は同時になぜか保育園の先生が怖く、こちらを見ている確信はまるでないのに、見られているような気がして、視線を感じるとよく物陰に隠れていた。

ある日、お昼寝の時間に独り言が止まらず、寝なかった日があった。
その日は担任の先生に「まだ寝とけば」と言われ、周りの子供が布団を片付けている間、自分だけ布団の上でしばらく呆然とした。
怒られている、と思った自分はたしか謝りながら重たい布団を先生の元へ持っていった気がする。

「怒られること」に耐性がとてもなかったというと違うかもしれないが、ある行動をして間違えると、「やってしまった」と脳の細胞がぶちぶち潰れていく感覚がして脳がショートしたのだった。
怒られてもへっちゃらな楽観的な子供ではなかったと思う。

そして本題に戻るが、担任の先生の結婚式に我々年中さんクラスも招待されたのである。
親が選んだドレスを着て行った。結婚式は初めてだったので、ずっとドキドキしていた。
しばらくすると、教会で何かしらの式が始まった。
ウェディングドレスを着た先生と先生の旦那様がいらした。知らない聖歌的な歌を歌ったあと、詳しく覚えていないが、我々はクソ長い階段に移動した。
みんなニコニコで上を見ている。
何が始まるのか全くわからない。
どうやら先生と旦那様がこのクソ長い階段の奥から来るらしく、私はぜひ先生の綺麗な姿を一目見たいともっと近くに移動しようとした。

当時仲が良かった友達とその階段を駆け上がり、見やすい場所に移動した。
近くで見る先生はとても綺麗で、「まだ寝とけば」と言いガキを放置した人と同じとは思えなかった。私は子供なので結婚とかよくわかっていなかったが、「なんかすごいな」と思っていた。良い意味で、、、

先生の背中が遠ざかる。
それと同時に、私と友達は自分たちの親に緊急招集された。

なんで?
そう思った。

バージンロードは新郎新婦しか歩いてはいけない、と小声で言われた。
怒ってはいなかったが、すごく気まずそうにしていた。

普通に、知らなかった。
おとなしい子供のため、まさか逆走するとは思わなかったので、親も言う必要はないと思っていたのだろう。

私は昼寝の出来事よろしく、「やってしまった」と思った。
あとで怒られるのではないかという恐怖というより、「規則」、「マナー」に反したということが、私を予想以上に責め立てた。

式場内にあるでかい芝生の上で友達と顔を見合わせて、「やっちゃったなー」という顔をしていたが、友達はそんなにダメージを受けていない様子であった。

それから罪の意識が植え付けられたのか知らないが、小学校に上がると、図書館で地獄の本を読み漁っては、「自分はこの地獄に落ちるのでは」と怯える日々を過ごしていた。

おわり!

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