見出し画像

15期 ハンネ・モンタナ

おっはようございま〜〜す!
こう挨拶するのも最後なのかな、はんなです!

ずっとずっと引退ブログと向き合うことから逃げてきましたが、愛しの藤江くんの引退ブログを笑いながら涙を流しながら読み終わった今、私もしっかり書こうって思ってついに文字を打ち始めてます。なぜ私がそんなにふじえ溺愛なのか不思議な後輩もいるんじゃないかなと思いますが
小学校が一緒だから、それだけです。多分。笑

それで本題。
引退ブログを書けなかった理由
何を書きたいわからなかったから
何を伝えるべきなのかわからなかったから
本当は寂しくて引退という事実と向き合いたくなかったから
たくさん考えられます。
どれが正解かわからないし、どれも正解なんだと思う。

私は下駄っぱーずに入ってから、どれが正解かわからないけどどれも正解な気がする、
そんな気持ちをたくさんたくさん経験してきました。

苦しいこと、しんどいこと、泣き出したいことばっかりでした。
バカみたいに楽しくて死ぬほど笑って、みんなのことが、みんなといる空間が愛おしくてたまらないことばっかりでした。

下駄っぱーずは私の全てだった。

だけど不思議と『引退したくない』という気持ちはこれっぽっちもありません。

私がやりきったと感じられているからなのか
やっと終わる、とホッとしているからなのか
あまり実感がないのか

正解は分かりません。
この正解もしばらくわからないんだと思います。

もちろんみんなに会えなくなることや当たり前がなくなってしまうことはとても寂しいんだけど、
引退まであと何日、というカウントダウンが始まってからも、しっかり1日1日がすぎていて、毎日濃くて、ちゃんと噛み締められています。

そんな今、私の心に確かにあって、この引退ブログを読んでくれている人に伝えたいのは

ありがとう

ということです。この言葉に尽きます。

私が今こうしていられるのは、全部全部みんなのおかげです。

13期の皆さん
新歓ズーム中はずっとケータイいじってるし無事入会した後も一生グルには入らないしでご迷惑をおかけしました。ごめんなさい。そんな私が今下駄っぱーずに居られるのは、大好きで人生を賭けたいと思える空間に向き合えているのは、紛れもなく13期の皆さんのおかげです。ふざける時はふざける先輩が通しになるとカッコよくなる姿がたまらなくて、下駄っぱーずが大好きになりました。私もこの団体の力になりたい、と思うようになりました。私は13期の皆さんから本当にたくさんのものを与えていただきました。引退してからも何度も連絡をしてしまってもいつも優しく相談に乗ってくれてありがとうございました。ずっとずっと憧れで大好きです。

14期の皆さん
皆さんとかいうと笑っちゃうくらい、お友達みたいに接してくれて、本当に本当にありがとう。私が21期間を生き延びれたのも、22にいるのも、22下駄っぱーずの今があるのも、全部全部14期のおかげです。
当時は同期に気の合う友達があんまりいなくて(今だから言えること笑)14期と引退するって21になってすぐの期間から連呼し続けていた私にとって14期の引退を気持ちよく迎えられなかったことがずっと心残りです。どうしても偉大な14期がいなくなることがしんどくて、そんな14期がいなくなってからの来年や自分が不安でしかなくて、14期を真っ直ぐ見ることができなかった。お仕事が多くて物理的に時間がなくて全然14期と一緒にいれなくて、なのに急に14期と仲良くなり始めた同期や後輩が一緒に過ごしているのが羨ましくてたまらなくて、ただただ苦しかった。けど14期はそんな私の姿も見抜いてくれて、たくさん声をかけてくれて。一生頭上がりません。14期からの引退メッセージこの一年で何回読んだんだろう。自分の気持ちがわからなくなったとき、下駄から逃げたくなったとき、いろんな時に何度も読んで何度も助けられてきました。22期間になってからもたくさん相談に乗ってくれて、演舞を見にきてくれて、遠征に付き添ってくれて。ありがとうという言葉じゃ足りないです。14期の背中はいつまでも大きくてかっこいいです。私が22でやりきった姿を見せて14期に感謝を伝えたいってずっと思ってました。引退まで走り抜けます。終わったらたくさんたくさん遊んでね!だいすき!

17期
あんまり関われなかった気がしてます。絶対怖かったよねごめんね、笑 とても後悔してる、もっともっと仲良くなりたかった、絶対に気が合ったと思うんだ!笑 17期は本当に本当にみんな可愛いくて愛しいです。一生懸命で人懐っこくて踊りも上手で向上心もあって、だけどたくさんのことを考えていて。みんなのこれからが楽しみで仕方ないです。とんでもない代になるんじゃないかなと心の底から思ってます。17期のこれからをずっとそばで見守っていたかったです。
薄々感じ始めてると思うけど、下駄っぱーずは自分で決断して自分で道を切り拓いていく機会が沢山あります。部署、制作然り、演舞の出演の有無だったり、担当や振り師、他にもたくさん。私はそんな決断に迫られ続ける度、やらない後悔よりやる後悔という言葉を信じて手を挙げてきました。悩む度に、やらなきゃじゃなくてやりたいなのか、ということを自分に問うてきました。ということだけ一応伝えてはおきます笑
ただ、これが正解だとも思わないしみんなにそうしなね、なんて偉そうなこと言えないし、何よりみんなは自分で考えて下駄人生を歩んでいくんだろうな、いける人達だな、と思います。
17期ってすごい。本当にそう思ってます。だけど一つだけ覚えておいて欲しいのはいつでも私達がついてるからねということ。困った時、少し疲れてしまった時、いつでも連絡してね。
そして、まとまりのある代だからこそ、みんなの様子を1人1人が気にしてみてほしい。本当の意味でのあたたかい空間を作っていってほしいなと思います。
みんなの存在は22下駄っぱーずに必要不可欠でした。下駄っぱーずに入ってくれてありがとう。大好きです。

16期
16期全体に対して何かメッセージを残すのは難しいくらい、本当に本当に個性豊かな代だなあと思います。みんなあほでバカで可愛くてちょっと不器用で真っ直ぐで。女の子はしっかりしてるのに赤ちゃんで男どもは無駄に尖ってるけどとってもかまちょで。笑 16期が16期でいてくれたからいまの22下駄っぱーずが、15期の姿があります。支え続けてくれてありがとう。立派な担当代でした。いい意味であんまり後輩な感じがしなかった!それもあって私もみんなにたくさん甘えてしまって、本当にたくさんの迷惑をかけてしまったと思います。ごめんね。何一つとして先輩らしいことはできなかったけど、はんちゃんはんちゃん懐いてくれるみんなが愛おしくて仕方なかったです。とっても頼もしくなったと思ったら回生通しを見てうぇんうぇん泣いてる君たちと離れるのが寂しくてたまらないです。
これから大変なこともたくさんあると思う。何してるのかわからなくなる時もあるかもしれない。けど、みんなが嫌な思いをするのだけは私が許さないのでいつでも呼んでください。誰のことでもぶちのめしにいきます。そして、下駄生活の先輩として16期に伝えておきたいのは、これからは楽しいことだらけでもあるよ、ということ。やっぱり幹部代は、好きなことをなんでもできます。というと語弊がありそうだけど笑 何をするにも、みんな次第です。16期は15期と違って冷静で大人なので守りに入りがちな人が多い気もするんだけど、ぜひ最後の一年は、やりたい気持ちを優先して、たくさんの素敵な景色を見てきてください。何も恐れる必要なんてありません。みんななら絶対に大丈夫。最高に強くてかっこいい代だなと思っています。
21にいがた担当として16期を見ていたこともあって勝手にみんなを見守っていた気持ちだったんだけど、あんなにちっちゃかった背中がここまで逞しくなったなんてなんだか感慨深いです。16期と過ごせた1年と半年間、最高に楽しかった。16期のみんなが大好き、ありがとう!

15期
愛おしい同期。この言葉に全てを詰めたまやちゃんの気持ちが今なら分かります🥑
想いが溢れて上手く言葉にもできないし何から言えば良いかわからない。本当にいろんなことがあったなあ、ありすぎたなあ、という気持ち。最後に15期だけで過ごす回生練が楽しくて愛しくてちょっぴり寂しくて、実は毎回噛み締めてます。(この場を借りて伝えた〜い、笑 金子とマリア、君たちじゃなきゃ自由奔放な15期の最後をまとめることはできなかったと思う。私達のために、本当に本当にありがとう。)
15期は1人1人がすごく優しくて思いやりがあってあたたかくて。しっかりしていて頼れて強くて。けど本当は弱虫で寂しがりやで気にしいで。なにより下駄っぱーずへの、下駄民への愛に溢れている人たちの集まりだったなと思います。そんな15期と同期でいられて幸せでした。15期が15期だったから、22下駄っぱーずがここまで居心地の良い代になったんだと思います。みんなの存在は私の人生の誇りです。私自身もここまで下駄っぱーずが、同期が好きになれるなんて思ってなかった。全部全部15期のみんなのおかげ。
22下駄っぱーず、どうだったかな?
"溢れる愛よ 共に舞え"
きっと最初は色々なことを感じたであろうこのテーマ、今はどう聞こえているかな。
みんなが少しでもこの代で良かったと思えていれば、それほど嬉しいことはありません。
1.2年生の時も、そしてなにより、22が始まってから、たくさん迷惑かけたし、たくさん不安にさせたと思います。本当にごめんね。そしてありがとう。いつでも支えてくれて手を差し伸べてくれて声をかけてくれて励ましてくれて。みんながいなきゃどうなってたんだろうって思います。私が下駄っぱーずのために頑張りたいと感じていた理由の1つに、大好きな同期とみんなで笑って引退したいから、というのがあった。私に頑張る理由を、ここまで夢中になれるものを与えてくれてありがとう。15期に出会えてよかった。15期が、15期との時間が愛おしくてたまらなかった。これからも一生仲良くしてね。みんなのことが大好きで大好きで大好きです。はやく瀬山と藤江とみんなで集まりたい!もっともっと伝えたいことはあるけどあとはいつか個別に伝えるね💌 改めて、本当にたくさんありがとう。


書き出すとキリがないけど、下駄民以外にも、コラボしてくださった他団体の皆さん、様々なステージを運営して下さった方々、大好きな家族、みんなに支えられていたから、私は下駄っぱーずに居続けることができました。

コロナ前とかコロナ後とかよくわからないしなんでもいいけど、とにかく大好きなみんなと過去一の代を作りたい、その気持ちで私は副代表に立候補させてもらいました。

だけど私の力なんてすごく小さくて、ずっとずっとみんなに支えられていました。三役という肩書きだけはあったからたくさんの感謝を伝えて貰ってきたけど、何にもしてないです。できなかった。全部、みんながいたから乗り越えられてきたんだと思っています。

感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとう。


さて、そろそろみんなの気持ちを代弁しましょう
こいつみんなが最後に書くこともう書いてるぞ?長すぎない?読みにくすぎない?目次とか知らんの?いや?これで終わるの?意外と短いの?

まあまあ落ち着いてもらって、(?)
私も思うがままに書いているのでどうなるかわからないけど、
もちろん終わりません。へへ

最後に、私の考えみたいなものを残させてください。

これを書くのが難しくて、いいことかかなきゃいけないんじゃないかってなんだか重たくて怖かった。先輩の引退ブログが、同期の引退ブログが、お金払っても読むべきと思うくらい、私に影響を与えてくれるものだったから。

今も私にそんなものが書けるとは思ってないです。というか私は皆ほどしっかりした考えを持ってる人間じゃないです。同期の引退ブログを読むたびアホな自分が情けなくてたまらなくなります。引退間際にその事実を改めて突きつけてくる同期たち、勘弁してくれよ!という気持ちです。あと、実は意外とえらそうに自分の考えを伝えることが好きではないので、この項目いらないんじゃないかとも思ったんだけど、私なりにこの団体と向き合ってきた痕跡を残してみようと思います。気が向いた人だけ読んでください。怒りません読まなくても。笑

私がこの1年間意識してきたことを2つ書きます。

1つ目【まずは自分が行動に移す】ということ。
 
すごく当たり前なことだけど、案外難しいんです。

下駄で過ごしているとたくさんのことを考え感じると思う。けど、それを自分の中に秘めてるだけでただ文句だけ言ってないかな?無意識に勝手に偉そうに評価だけしてないかな?まわりくどいことしてないかな? 私はそんなダサいことは絶対にしたくなかった。だから思ったことがあったら必ず本人に伝えた。練習の空気をもっと良くしたいと感じたから誰よりも声を出した。担当さんには誰よりもその演舞のことを想っていて欲しいから、担当さんと関わる三役として、担当さんを超える勢いでその演舞のことを想い続けた。副代表にならせてもらった以上、下駄っぱーずや下駄民のことを考えに考え続けた。

口だけ人間にならないように、自分にできること、自分がすべきことを探し続けていました。

この団体を作るのは一人一人の存在です。良い意味でも悪い意味でも。自分の存在を活かすも殺すも自分次第だということをたまに思い出して欲しいな。

2つ目【寛大な心を持つ】ということ。

お前がいうなよって声も聞こえてきそうだなあ^^
寛大な心っていうとなんだそりゃって話だと思うんだけど、具体的にいうと
誰かの一つの言動だけで全てをわかった気にならないこと。
周りの声にちゃんと耳を傾けること。
みんなの気持ちを考えること。
他にもたくさん。笑
私はとてもこれらが苦手で、どうしたらいいんだろって思った時に、自分の心が狭すぎるな、寛大な心を持とう、と思ってきたので、寛大な心を持つ、という変なまとめ方をしました。笑

寛大な心をもつことは、周りが見えるようになる、という意味で、広い視野を持つことにも繋がると思います。

下駄っぱーずという狭い世界にいるとどうしてもいろんなものが偏ってしまいがちだし、周りが見えなくなってしまうこともあると思う。
そしてそれに気づくのも難しい。

だからこそ、たまに自分のことや周りのことを客観視してみて欲しい。何か見えてくるものがあるはず。
私はいっぱいいっぱいになってしまった時こそ一回大きな深呼吸をして自分の周りに起きてることを広い心をもって客観的に見るようにしてました。そうするとふと、いい意味でなんでも良くなるというか、自分ちっぽけだなあと感じて見え方が変わってきました。

ただ、何度もFDの話などで言ってきた気がするけど下駄っぱーずで過ごす時にはどうか当事者意識を忘れないでいてほしいなと思います。

落とし所が難しいですね、意識してきたこととは別にみんなに伝えたいこともある!それは【自分を大切にして欲しい】ということ。

ちょっぴり自分の中の後悔でもあります。

たまに、もっと自分の気持ちに向き合っていれば、全然違った下駄人生になってたのかな、と思う瞬間がある。

私の原動力ってみんなの存在だから、気付いたらみんなのことで頭がいっぱいで。バランスとか自分の役割ばっかり気にしてたなあと思います。みんなのせいではなく自分の性格上の問題だし、結局自分のやりたいことでもあったんだけど、どうしたらみんなのためになるのかなってことばっか考えてて、自分がどうしたいかとか感じたり考えたりしなくなっていました。22に入ってからは嬉しくて泣く、悔しくて泣く、みたいなことがあまりできなくなってしまった。

ここまでいって、はんなって大変だなすごいなとか思って欲しいわけじゃなくて。

私はただ自分と向き合うことから逃げていただけなんだなと思います。
自分の正直な気持ちに向き合うのって勇気がいることだと思います。だけど、自分と向き合わなきゃ何も見えてこないんだなと、引退間近の今になってようやく気づきました。

踊りが好きだって気持ち、とりあえず今は踊りに集中したいなって気持ち。少し休みたいって気持ち、下駄と距離を置きたいという気持ち。どんなものであれ、まずは自分の気持ちに耳を傾けてあげて欲しいなと思います。


以上!長いくせにとても薄い引退ブログでごめんなさいでした!
いろんなメモを見返してみたりこれまでの下駄人生振り返ってその都度思ったこと書き出したりしてみようかなとか思ったんだけど、
今の気持ちを全部そのまま勢いで書いています。あれ書けばよかったこれ伝えたかったってたくさん出てくる気もするけどまあいいかなと思ってます、はんちゃんらしいよ!と藤江くんなら言ってくれると思います。笑

そろそろ書き終えなきゃですね、

覚悟を決めて、本当にこれが最後!

私が下駄っぱーずにいられたのも、副代表として過ごせたのも、中島はんなとして最高の思い出を作れたのも、全部全部、みんなのおかげです。

下駄っぱーずは愛の詰まった夢のような場所でした。
下駄民と過ごす時間はかけがえのない尊いものでした。
みんなと過ごした日々はずっとずっと忘れません。

心の底から、ありがとうございました!!

22下駄っぱーずがこれからずっとずっとみんなの心に残っていますように。

はんな@実はこの最後のつけるの好きじゃなくてちょくちょくつけてなかったんだあ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?