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15分のわたし時間


わたし時間

1日のうちのほんの15分が、残りの23時間と45分を支えていたりするのではないかと思うことがあります。

例えば、
音楽を聴くことだったり、
ぼーっとする時間だったり、
コーヒーを飲む時間だったり、
お風呂にゆったり浸かったり、
ゲームや読書、テレビの時間かもしれません。

自分を支えてくれている時間というのか、リラックスの時間というのか、そういった「わたし時間」は、きっと誰しもが持っていそうな気がします。だけど、なんとなくその時間を過ごしていたり、気付いてはいても、忙しさの中に埋もれてしまったり。時に、誰かにその時間を譲ってしまうこともあるかもしれません。
 

大切に過ごす15分

“1日を大切に、丁寧に過ごす。”
全ての時間をそう過ごせたら理想的だけれど、今のわたしには難しい…。だからこそ、食事の後に、わたしのために淹れるお茶の時間だけは、大切に過ごそうと日々心掛けています。夕方に疲れを感じることすら許さない慌ただしい日であっても、夕食後の一杯が、それまでの忙しさを懐かしく眺められるようにしてくれるから。
  

子どもの頃~現在のお茶の時間

思えば子どもの頃、父が帰宅する20時頃、母の「お茶が入ったで~」の一言で、家族みんなが食卓に。食事で全員が揃うことは週に1、2度くらいだったけれど、このお茶の時間は、ほぼ毎日。特にその時間にまつわる何か良い思い出があるわけでも、その時間が好きだったという記憶もありません。習慣化された時間だったわけですが、当時、母が大切にしていたからこそ、今のわたしもその時間を大切にできているのかもしれません。
 
昔の母のように、わたしが現在、家族を呼び集める事はありませんが、お湯をわかしている時に「ぼくも淹れて〜」「わたしも〜」と時折、声が聞こえてきます。特段、何かを話すことはないのだれど、一緒にほっこりする時間は、普段の食事の時間とは違うものが流れている気がします。
  

わたし時間に心地よさを吹き込む

この時間を楽しめるようになったのは、何気なく飲んでいた食後のお茶が好きなんだと気づき、『お茶の時間』 としてから。そして、その時間が少しでも気持ちよく過ごせるようにと、お気に入りのマグカップや湯呑み、好きなデザインのハンドドリップのコーヒーメーカー、10年ほどかけて入れ替えたり、新しい道具を足したりと、少しずつ少しずつ、心地よさが吹き込まれてきました。
 
好きな香りのハーブティー、コーヒー豆、ちょっといい緑茶などを用意しておいて、その日の気分で選びます。時に静かに、時に好きな音楽やラジオを聴きながらの15分。

この時間は、わたしにとって単にストレス解消とか、積極的に疲れをとるとか、そういう類いの時間ではないのだけれど、奥から静かに湧き出る泉のように、気付いたら心が満たされているそんな時間なんだと思います。そして、この15分の積み重ねが、日々の豊かさの土台となっている様にも思います。

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