妊娠6か月で水頭症がわかってから、産むところが決まるまで
なんの病気かもわからず、不安で泣いた翌朝、医師から「もしもの時は、どうするか、お父さんとお母さんで決めてください」と、開口一番、命の選択を迫られました。
今、思い返しても、あれはなかったよなぁと。
病院側の言いたいことはわかる。生きるか死ぬかのときは、こちらに責任を持たせないで欲しい、あなたたちで決めてください、と。
だけどさぁ、最初にそれ言うかね?
結局、そこには担当できるお医者さんがいなくて、また紹介状を書いてもらうことになり。紹介する側も、脳の話なのに、脳外科の専門医がいないところに紹介するかね?
これは今でも気持ちがおさまらない。
もし、私がその時のお医者さんだったら、
「症状は見る限り軽くはないです。ただ、このケースで産まれる場合ももちろんありますし、今は考えられないかもしれませんが、急変の可能性もありますので、その場合の心づもり、、、」
いやいやいや、やっばり初見でそれは言わないよ。
ふつうに散歩してた人が谷底に落ちて、その上からでっかい岩石を投げつけるみたいなもんよ。もう上がれない。泣くしかない。わめくしかない。はじめての大学病院は、そんな思い出でした。
それから数日後、あらためて紹介してもらった産科の女医さんは、じっくりエコーを見た後、「このまま、できるかぎり、おなかの中で育てていくことを考えましょう」と。
泣きました。
あっちでは、死ぬかもしれんって言われたと告げ口しました。
晶子は39週と1日で帝王切開で産まれました。コロナ禍のため、年末から強制入院でした。年末年始をはじめて病室で過ごしました。これはまぁ、いい思い出かな。
逆子もどうにかしたくてお灸に行ったりしたけれど、頭が重かったし、ムリやったんやね。だけど、取り上げてくれた先生は、ギリギリまで回転するかも、て言ってたし、産む日もギリギリまで待ってくれて、それって、私を信じてくれてたって思えるし、先生自身も何があっても大丈夫って、自分を信じてたんやろね。
私も信じよ。
子どもを信じよ。
家族を信じよ。
私の友達を信じよ。
晶子、産まれて9ヶ月のある日の日記。
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