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流星群の夜

今夜は明け方にかけてしし座流星群のピークとのこと。

日付変わって午前2時、ベランダで歯磨きしながらしばらく空を見上げてみた。周りのマンションの並びに切り取られた空は狭すぎて、普通の星すら数個かろうじて見えるほどだった。

それならばと、近所の川沿いまで深夜のお散歩に出かけてみた。空が大きく広がっていて良い。が、川に沿って立つ街頭たちの光が騒がしく、星もあまり見えず。10分ほど立ち止まり東の空を見ていたが、結果として流れ星を見ることはできなかった。

都会の夜は、住宅街も明るい。生まれ育った田舎の空が少し恋しくなった。


流星群の夜というと、大学時代、これまた当時の近所の河川敷で一時間ぐらい一人で夜空を見上げていた日のことを思い出す。

星なんか特に興味もないのに、たまにはそういうのも見てみるかと深夜に思い立ち、ぶらりと出かけたのだった。確か夏の終わりか秋のはじめだったと思うから、ペルセウス座流星群だっただろうか。

河川敷にあったブロック塀によじ登って腰掛けて、ずっとぼんやり空を眺めていた。お尻にゴツゴツと固い感触を感じながら見上げた空にどれだけ流れ星があったかは、もうあまり覚えていない。十数個もの流れ星を見送ったような気もするし、結局見れなかったや、と思って帰路についた気もする。

あの頃、大学の夏休みで一日中自由で、それでも歌のサークルの練習もたくさんとっていたりと、忙しいような暇なようななんとも言えない毎日が続いていた。

一人で夜空を見上げてた時間は、一人でこんなことをしているという寂しさと、一人静かに自分の時間を過ごせている安らぎとがないまぜになり、不思議な気分で過ごしていた。

僕は寂しがりやな一方で、他人と過ごす時間が多いと息が詰まるという面倒くさい性格だ。当時から孤独へのちょうどよい向き合い方を探していたのだなあと、今振り返って思う。


もうひとつ、流れ星ではないが、星というと思い出すのが、大学2年生のときのサークル合宿だ。

僕の所属していたサークルでは毎年夏に合宿をしていた。他大学と合同だったのもあり100人とか集まる規模で、よくある自然の家のような宿泊施設で行う。要は山奥だ。

あの時見上げた一面の星空は圧巻で、今でも一番だ。空に白のインクでスパッタリングしたような、くまなく散らばった星たち。僕らが見上げていた星空にはこんなにも星が隠れていたというのか。仙台の明るい街で見上げる夜空に慣れてしまっていた僕は感動した。

満天の星空を見上げながらサークルの仲間といつまでもぐだぐたととりとめの無い話をしたあの夜は、振り返るとなかなか青春っぽかったなあ。何を話してたかなんてなんにも覚えてないけれど、なんか良いものだ。


あの時と同じ満天の空をまた見たい。もう10年近くご無沙汰な本物の星空。星がきれいな夜、山にドライブ行きたい。

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