見出し画像

またね、ばば子。

2022年2月6日

「死んだら化けて出るなよっ!」
「死んだら化けて出ちゃるっ!」

何かにつけてずっと家族とこんなやり取りをしていたうちの祖母。

人間90以上も生きれば姿も色んな様に変化し、髪が全て抜けていた時期もあれば、最後は若く緑に光る黒髪がふさふさと生えていた。
ハリーポッターに出てくる屋敷しもべ妖精ドビーや、赤ん坊の姿で泣く妖精マンドレイクによく例えられ、もはや生き仏。
美味しいものだけおくれ、が口癖で毎食成人一食分以上、さらに家中の果物と菓子を食べ毎日からから笑っておった。


今ばあちゃんが死んだよと母から連絡があったのが2月2日。
聞けば祖母がとても好きだった祖母の母の命日と同じ。日にちまで選んでいったのねと感心し合う。

私は小学3年から高校を出るまでの10年間を祖母と暮らした。
姉妹2人、朝ごはん全部食べるまで学校行かしゃあせんでと脅され、帰ったらすぐに弁当箱出せ、と凄まれる。塾にはいつも迎えに来ており、高校生になっても夕方5時になると携帯がじゃんじゃん鳴る。
私の反抗期には風呂で妹にまりこはもうだめじゃと弱音を吐いたこともあったらしいが、年中元気に憎まれ口をたたき、母と喧嘩しては不利になるとわたしゃ生きすぎたんじゃとめそめそ同情を誘うのだった。


晩年はとても可愛い妖精だった。
帰省した私がたまに外で酔っぱらい、深夜にこっそり裏口から帰ってくると祖母の部屋を通過することになる。酔っているのでずかずかベッドに座り、長い間とりとめのない話をするのを手を握ってにこにこ聞き、恋人を紹介すれば忘れないよう名前を繰り返し復唱し、誰々さんは元気かねと聞いてきた。

うちは洒落っ気とは無縁の一族だと思うのだが、一番小洒落ており、数々のファンタジーを残したのはばばではなかっただろうか。



こう思い出話をすると尽きないが、不思議と悲しさ寂しさはほとんどないのだった。
よくその小さい体を長年使って頑張った。母も介護を頑張った。死にかけてはしょっちゅう持ち直し、骨が折れてもよく食べた。
言葉通りの老衰、朝風呂に入り母からの寿司を楽しみに待っている間に死んだそうだ。
私もこうなりたい、こんなふうにあの世行き出来たらどんなにいいだろうか。


通夜では、この忙しいのに洗車に行ったり急に窓を拭いたり役に立たなかった父が完璧なスピーチを繰り広げて妹と軽くひいたり、夜親戚が帰ってから祖母の前で妹と歌を歌ったり、楽しく過ごした。


昨日は葬式。
大事にとっていたらしい、私たちが幼少の頃からつい先日までに送ったたくさんの手紙と、たくさんの匂い立つ花と共に、焼かれる前の最後のお別れは、やはり妹と頬をぺちっと、
「化けて出るなよっ!」


化けて出ちゃるわいっ!
と顔が動いたような気がした。


たんぽぽの茎と言われたか細い足の骨、そしてずっと揚げ餅を噛んだ下顎の骨がでっかく残り、皆によって骨壺に納められたが、車で妹とそれを抱きながら、あんまり生きてるときと変わらんね、と頷き合った。


田原ハツ子97歳、見事な大往生であった。
また会う日まで、笑ってあの世から見ていてな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?