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自分のこれまでの移動距離を振り返ってみた #46

こんばんは!
久しぶりの休日にたっぷり寝て、ちゃんと復活したきなこです。

今日もお馴染み公民館に行ったのだけど、眠くて全く集中出来なかった。
もうダメだと早々に切り上げて、ずっと行きたかったラーメン屋さんに行ったら、死ぬほど並んでた。
並ぶの嫌だなーと、第三候補のラーメン屋さんに行くと、ガラガラですぐ入れた。
食べたかった餃子はなくて、ラーメンの味も微妙だった。
でも銭湯でポカポカになって幸せな気分で帰ってきた。
↑いまここ

とまあなんともゆるゆるな休日を送っておりました。

でも、今日は天気も良くて、夜道を歩いてたら半月と星が綺麗に見えて、なんか穏やかな日だったなあ。
しあわせでした。

しっかり休めてエネルギーもチャージしたので、寝る前にもうちょっと詰め込もうと思います。

さてさて今日は、今朝の西野さんVoicyでも話があった、若者の移動距離と成長スピードについて、私なりに考えてみました。

今宵も少しばかりお付き合いください。

一般的に生きられない

私は自分で自分を見ても、よくもまあそんなに動けるなーと思うほど、いろんな所に身を置いてきました。

一つの場所にずっといることができなくて、自分が同じ場所にいることに焦りを感じてしまいます。
「石の上にも三年」と良く大人には言われて、過去出会った先生にも、辛いことがあってもとりあえず3年は頑張りなさい、と言われました。

ところが私はそんな言葉は全く響かず、その三年という謎な呪縛は全く無意味だと思っています。

同じところにずっといるというのは、どんどん仕事にも慣れて、少しずつ出来ることも増えて、後輩もできたりなんかして、どんどん居心地が良くなるものですよね。

周りには気の知れた仲間もいるし、仕事はもうすっかり慣れたものだし。
愚痴なんか言いつつ、すぐやめるのはカッコ悪い、という一般常識もあるもんだから。とりあえずそこにいる。
そしてまあ辞めても格好のつくくらい働いて、転職を考えたり。

その一連のよくある流れが全く共感できないのです。

成長できてると思える三年を送りたい。自分にとって意味のある3年を送りたいのです。
ぼけーっと石の上に座っていたくないのです。

そんなわけで話を戻しますが、私は今までの人生、いろんな場所に行きました。
そしてこれからも色んな場所へ行って色んな景色を見たい。

私のこれまでの移動距離

私は高校生の頃、周りと同じスピードで生きるのが嫌で、学校外での時間を大事にしていました。
楽器のレッスンを受けに行ったり、演奏会に行ったり。でもまだまだ大人の支配下にあるので、自分の時間なんてそうは取れなくて、とても息苦しかった記憶があります。

大学生になると、やっと解放された気分になりました。
全国から集まった同志と話すのは楽しかった。
だけどここも次第に、物足りなくなりました。
もっと刺激が欲しくて、海外の憧れのプレーヤーに会いに行ったり、ドイツ語学校へ通って新しいコミュニティに参加したりしました。

日本の大学嫌だー!と、海外へ飛び出した時は本当に毎日刺激的でした。
毎日ベルリンフィルを聴きに行って、本場の先生からレッスンを受けて、ドイツ語学校では多国籍な友達も出来て。
(ベルリンまた行きたいなぁ)

受験する大学を決める口実で、近郊の国へも行きました。ベルギーのコンクールを聴きに行ったり、ウィーンではずっと憧れてた音楽ホールに行ったり。
ウィーンへ行く時に乗った長距離バスでは、隣の席に座っていたドイツ人と仲良くなったり。
(ウィーンもまた行きたいなぁ)

帰国してからは、新潟に住んだり、長野に住んだり、よく知らない街へ引っ越したり。
色んな仕事も経験して、やりたいことを見失って彷徨ってしまったこともあります。

本当に振り返ると、ずーっと動き回ってる笑

そんな私もここ数年は、珍しく同じ場所にいたのだけど、また最近旅を始めました。

私は西野さんみたいに人付き合いは上手くないし、今まで出会った人と、みんな今でも仲良し!とはいかなかったのだけど、確かに無駄ではなかったと胸を張って言えます。
どの場所でも何かしらの収穫はあって、今の自分の知恵に加わっていることは間違いないでしょう。

もう若者と呼ばれる年齢ではなくなってきたけど、まだまだ成長し続けたい。

辛くてしんどかったとしても、やべー楽しいー!
って思える生き方をしたい!

そんなことを改めて思いました。

まだまだ私は努力が足りません。
もっとやります。
もっとやれます。

がんばります!

皆様も、毎日お疲れ様です。
おやすみなさい🌙



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