2020
オリンピックがするっと始まった。
私は元々開催に対して、特に否定的でもなかった身だ。
スポーツを観るのは好きだし、それ自体に罪はないのだから。選手のことを想うと、今回のオリンピックどうか無事に終わってくれと思わずにはいられない。
だからといって、ここまで来てしまったのだからどうせなら応援するという事ともまた違う。
ただただ選手ひとりひとりの頑張りを見守りたいという気持ちなのだ。
SNSの意見を大衆が鵜呑みにする時代、先日の開会式でもネット上はいろいろな意見が飛び交っていた。
バッハの話が長い、校長先生みたいだ。なんてトレンドもあったりした。
そのワードを見て学生時代の感覚が蘇った。
体育祭やクラスで団結しなくてはならない出し物の際に、なにかといちゃもんをつけ、裏でブーブーもの言っている人達ってクラスに数人は絶対いたなとか、妙にその時だけ熱苦しくて偽善のように皆をまとめたがるような人もいたな、なんてことを思い出した。
その姿が、揚げ足を取ったり、コロコロ意見が変わったり、議論することではないようなことを指摘して皆の熱を下げるような発言をしている人たちや、急に肯定的な意見を言い出したり、いい人アピールやマウントを取ろうと必死な記者やネット民たちと重なった。
学生の頃のクラスという小さなコミュニティも、社会と対して変わらないものなのだな、なんて思ったりした。
なんやかんや言ったが、皆が楽しめればいいのにという願いは一生やってこないような気がする。
ただただ今は、無事にオリンピックが終わってほしいと思う。
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