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#16【セブ親子留学】「小さな昭和のおじさん」と稼いでない劣等感

2024/07/17

こんにちは。子どもと2人でセブに親子留学中のさんかくです。

先日、小島慶子さんのこんな記事を読みました。

約10年前に息子さんの教育のために、息子さんとご主人がオーストラリアのパース、小島さんが東京で暮らす、という親子教育移住をスタートされた小島慶子さん。

当時、今9歳の子どもが生まれたばっかりで、子供の教育のために「家族が別々に住む」という選択肢があるんだなと、私が教育移住について考えるきっかけにもなった方。

単純に、家族を海外で養い、お子さん二人を海外の大学に行かせることができる経済力ってすごいなと尊敬します。
その小島慶子さんが記事の中で、こんな風に書かれています。

『「家族にお金のことなんて一切考えないでいい生活をさせてあげたかったなあ、もっと私に甲斐(かい)性があったら」なんて思っているのだ。』

まあ、別に昭和のおじさんに限らないが「俺が稼いで家族に楽させてやるぞ」という大黒柱的な(という言葉をあえて用いるが)自意識を持った人物が、私の中に確かにいる。』

日経クロスウーマン:胸の中の「小さな昭和のおじさん」を、私は憎みきれない 小島慶子

あー、わかるなぁ。と思いました。
いるいる、私の中にも確実にいます。「小さな昭和のおじさん」が。

というか、今回の親子留学で、私の中にもいるんだなと気づかされたというのが正解。

仕事をやめる喪失感

子どもと海外に行くことを決め、それに付随して今の仕事を退職すること、新しい仕事を見つけること、全部が自分の意志で決めたことです。

でも、いざ今の仕事をやめるぞ!となると、怖い、もったいない、不安、そんな気持ちがあふれる、湧き出る、流れ出る。

だって、がんばって40歳過ぎまで築いてきたキャリアです。
人から見たら大したキャリアじゃないけど、手持ちのカードの中で、精いっぱいやってきたんじゃないかな、とは思います。

それを「一回手放す」ということが、自分にとってどんなに大きいことか、自分でもちゃんとは、認識できてなかったなと思います。

今まで一緒に働いていた人が急にキラキラして見えて、この前まで私も同じ場所にいて、お給料もよかったし、本当にこれでよかったのかな?と、正直考えない日はまだないです。

一言でいってしまうと、喪失感。

転職することで確実に同じお給料を稼げない自分にも。
今この選択をすることで、将来の子どもにかけられるお金を減らすことになるんじゃないかって。

マレーシアから帰ってきた時に、「わたし、また同じ場所まで戻ってこれるかな?」そんな不安が常にあります。


稼いでない自分に感じる劣等感

ちなみに我が家は共働きでがんばっている家庭なので、マレーシア留学予定の1年から1年半は、最悪今までの貯金でまかなうとしても、この先もずっと私が働かないという選択肢はありません。

マレーシア留学中も働けるように、転職活動もしてますが、まぁ、これが上手くいかない。全然うまくいかない。

あれ?私が今まで積み上げてきたものって、なにも評価されないのかなっていう悲しみ、無能感。
稼げない自分への劣等感もあります。

たぶん、そういう風に考える原因になっているのが、私の中の「小さな昭和のおじさん」なんだと思うのです。
子どもには海外だって不自由なく生活させてやりたいし、夫にだって日本で生活水準を落とすようなことはさせたくない。

「そのためには、私が稼がなくては!」

と叫ぶ、小さな昭和のおじさんが、頻繁に私の中にも登場します。


小さな昭和のおじさんとの付き合い方

それでも小島さんと同じく、私もこのおじさんを憎めないんだよなぁ。

そして、私にもやっぱり「私は女なのに」という気持ちがあって、それがひねくれた形で、このおじさんにプレッシャーをかけているということも、認めなくては。

定年後のお父さんみたいな喪失感、劣等感に、自分がぶち当たるとは思わなかった。自分では、そういうタイプじゃないと思ってた部分もあるし。

自己認識って、本当にあてにならないものだなと思う。
そうやって子育てを通じて、知らない自分に気づくことが多いなとも。

最終的には、この記事の最後で小島さんもおっしゃっている通り、「そういうところあるよね」と認めて、うまくやっていくしかないんだろうと思います。
もう40代の大人だしね。

ではまた!

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