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After コロナで見えてきたこと~行き過ぎた資本主義への決別

皆さんこんにちは

最近筋トレとランニングにハマっています。週に3日くらいのペースで通っておりなかなか楽しいです。で、筋トレはずーーと同じ部位のマシントレーニングを続けていてちょっとマンネリだったので、ダンベル使って肩から外腕のトレーンングを追加したのですが、長らく負荷をかけずに老いさらばえていた部位のようだったようでめっちゃ効いています。効きすぎて腕が上がらないくらいの筋肉痛になっています。
そんな中、ものすごく大きなテーマを掲げてしまい、こんな大風呂敷最後まで広げきることができるのかかなり不安ですがちょっと頑張ってみます。

資本主義って何だろう?

資本主義って何だろう??これは以前から時々考えていたことです。例えば企業は成長することが使命であり、売り上げはどんどん伸ばすべき!!それは個人の成長にもつながるからもっと頑張れ!!みたいな話をみんなで言い合ってがむしゃらに働くのが当たり前という空気の中で、それでどこまでもどんどん行ったらどうなるんだろうみたいなことをぼんやりと考えていました。その時に頭に浮かんだのは「レミングの群れが一斉に川に向かった走っていて集団自殺する絵」です。こんなことやっていたら人類全体がこんな感じで破滅に向かって走っているんじゃないかという不安を覚えたわけです。

レミングス

※レミングって実は集団自殺なんてしないんですって・・

野生の動物って食べ過ぎたり、しないし、肥満にならないという話を聞いたことがあります。ところが人に飼われるようになると与えたら与えた分だけ食べるようになってしまってメタボになってしまうそうです。野生の世界だとほとんどの動物には天敵がいて、例えばメタボになったりすると天敵にとってごちそうになってしまうわけで、そうすると生き残るためには食べ過ぎないという本能的な自己抑制が働いているわけですよね。

飼われてしまうとそのあたりのバランスが崩れてしまうというのはちょっと不思議な気もしますが、もしかしたら生存欲求が保証されてしまうので欲求が別の方向(もっと食べたい)に向かっているのかもしれないですよね。

与えられたら与えられた分だけ食べてしまうというのは人間も同じなんじゃないかなあと思います。そういうわけで世界中の先進諸国ではメタボ率が問題になっています。

そういえば日本人って欧米人に比べるとメタボ率が低いらしくそれも今回のコロナの罹患者の死亡率の低さに関係があるみたいですね・・日本語には「ほどほど」、とか「身の丈にあった」という言葉がありますが、これは結構深い言葉なのかなあと思っていて自分に合った何かを見つけることが幸福感につながるという考え方につながっているような気もします。これらの言葉にはやりすぎはよくないという意味もあるけど成金とか成り上がりをちょっと侮蔑するみたいな日本人特有の同調圧力も感じたりするのですが、自分らしく生きるという意味においてはほどほどって大事だなあと思ったりするわけです。

今の資本主義メタボじゃね??

さてそんな視点から現在の資本主義経済を眺めてみると明らかにほどほどじゃないなあと思います。メタボじゃねぇか!!と思うわけです。日本の上場企業なんか見ていても、「成長こそすべて」「売上至上主義」みたいな会社がほとんどですよね。確かに上場企業で経営者がほどほどにしてきますなんて言おうもんなら株主から不信任決議を突き付けられるんでそういう説明をしないといけないのかもしれません。でも今の世の中を見ていると明らかに行き過ぎた資本主義が当たり前になっていて、なんかおかしいんじゃないかなあと思ったりするわけですし、それがひずみとなって例えば環境問題とかコンプライアンス無視とか、ブラックワークなどを生じさせてしまっているんじゃないのかと感じています。

上手く説明できないのですがやっぱりやりすぎはよくないという事かなあと思ったりするわけです。事業はある程度成長させるべきだと思うのですが、なんというかその事業の持つ社会的な意義とかでどの程度まで成長できるのかというのは、その社会に与える影響度なんかで、ある程度決まっていくんじゃないのかなあという想いを持っています。ただ成長の過程で企業自体の想いがより膨らみ、社会に与える良いインパクトが大きくなっていくことで器がさらに大きくなることもあるのではと思います。で、そういう会社はGAFAのようにあっという間に世界規模の企業に成長することもあるとは思います。

近頃の若いもんは・・・

この20年くらいの間の起業家の動きを見ていても2000年代のころの起業家はどちらかというとお金持ちになりたい!!みたいな発想で起業している人が多かったように感じました。いっちょう、これで一山あててやろう!!みたいな感じですし、ヒルズ族みたいな言葉も流行りました。しかし最近は社会課題の解決を図るために起業する人が増えてきたように思います。学生の志向も変化していて、リーマン前後は何が何でも大企業みたいな志向でがつがつ就活やっている奴が多くて、そうすると就活サークルなんかが盛り上がっていて、どれだけ大手の内定取れるかみたいな感じでゲーム感覚で就活やっていたのが多かったんですが、以降は社会課題に結構まじめに向き合って考える中で、NPOとか社会課題解決型のベンチャー企業に行って長期インターンに行くやつが増えてきて、就活しないで自分で会社作るやつとか、NPOに就職したりとか、フリーになるやつとかは増えてきています。

この10年くらい大学の就職支援とキャリア教育に関わる中でそういう奴らと接していたのですが、「近頃の若いやつらは、、、めっちゃすごい!!」という驚きしかなかったみたいな印象を持っていまして、おそらくこういう社会情勢の中で自然にそういった世の中の変化に対応する価値観がはぐくまれてきてるのはとても素晴らしいことだなあと思っていました。

with コロナで気づいたこと

まあそんなこんなで今回コロナになってしまい経済的に大ダメージを世界中で受けてしまっているのですが、その状況をよくリーマンショックと比べられることが多いです。経済的なダメージは今回はリーマンを超えた!!といわれているのですが一つここまでの動きの中で不思議なことがあると思っています。株価が実はリーマンの時ほど落ちていないんですよね!!

リーマンショックの時は、世界中の投資家がサブプライムローンという怪しい錬金術に踊らされて、それでリーマンブラザーズという世界最大級の金融機関が破綻しちゃったわけなのですが、それでみなパニックになって一斉に金融市場からお金を引き上げようとしたもんだから余計に大変なことになってしまって、世界中の経済が冷え切ってしまったわけですよね。今回はそういう意味ではなぜか株価はそれほど大きく落ちず直近ではむしろ上昇する気配すら見えてているというのがとっても不思議です。私はこの分野の専門家ではないのであくまで個人的な推測にはなるのですが、実はこの数年SDGSがいろいろなところで話題になっていて、どうも世界の有力な投資家筋では目先の利益だけでなく中長期的に良い(持続可能な社会の実現に寄与するみたいな)ことをやっている企業か否かという視点で投資の考え方をシフトしているようなんですね。っで今回のコロナで確かにダメージは受けたかもしれないけど長期的に見て社会にとって良いことを行っている企業に対する投資をやめないというスタンスが関係しているのではと考えています。

自律がこれからのキーワード??

随処に主となれば、立処みな真なり(ずいしょにしゅとなれば、りっしょみなしんなり:臨済義玄禅師)

学生時代にむさぼるように読みあさった司馬遼太郎の歴史小説のどこかに出ていた言葉(作品名覚えていません)ですが、周囲の動きや情報などにほんろうされることなく、逆にそれらを意のままに駆使していく主体性があれば、自ら人生の主人公として生きていけるのだ。という意味だったと思います。

人間を動機づけるものは二つあるといわれています。一つは恐れ、恐怖、不安、もう一つは自分の心の内側から湧き出るわくわくです。こうやって考えておみるとメタボな資本主義って、恐れや不安によって競争し、売り上げを上げ、利益を稼いでいるような気がします。このままだとライバルに負ける、生き残ることができないみたいな。一方、自分のわくわくにしたがって生きることはやっていることが楽しいけど、これってその状態が楽しいのでそんな馬鹿なことにはならないと思うんですよね。コロナウィルスももしかしたら弱毒化したんじゃないかといわれていますが、ウィルスって宿主を殺してしまうとそもそも生き残れないので共生の方向に自然に自らの特性を変えていくといわれているそうで、これって生物の本能みたいなもんじゃないかと、だとすると人間はまさしく宿主である地球を破壊しかかっているわけでこれって人間の欲望がひずんでしまっていて、それに対して自律を取り戻すことによって自然に地球と共生する方向に自らの行動を変える動きが出てきているんではと思ったりするわけです。若い世代にそういう考え方ができる人が増えているのはまさしくそういう事かなあと思っています。

今回のコロナはこれまでのいろいろな当たり前が根底からひっくり変えるようなことが起きています。そういう意味ではまさしく私たちの働き方、会社の在り方、考え方などを考え直す時期が来たのではと思っていますが、そういう点では会社と自分についても大人と大人の関係での立ち位置を再設定していく必要があるのかなあと思います。

そうすると私たちのような昭和生まれのおじさんはとっても大変な時代を迎えるのかもしれませんね~


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