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スキーにおける指導とは・・?

スキー指導者って何

実は今年に入ってからコーチングを学んでいます。コーチングといってもスポーツコーチングではなくビジネスコーチング??。コーチングって普通に使う言葉なのですがよく混同されるのがティーチングです。ティーチングは教えることで、コーチングは相手の可能性の最大化を支援することだといわれています。


スキーの世界でいう指導はやはりほとんどティーチングです。指導員という資格もあり、その指導の根拠となる、全日本スキー教程という本があるのですが、これ読んでみるとこんな進め方で指導するともしかしたらうまく上達するかもよ??という説が述べられている代物です。

教程とか教科書ってそんなものなのかもしれないので、それをダメ出しするつもりはないのですが、前にも書いたようにこれを作っている組織内の派閥争い(全日本スキー連盟教育本部)でいう事がころころ変わっていたりするのでなんだかなあという感じの内容です。あまりそれをバイブルのようにあがめ奉るものではないという印象があります。

スキー指導員という資格の魔力

スキーを趣味とする人の何割かは先ほど申し上げた指導員という資格を取得することを目標として頑張ります。検定試験がありそれに受からないともらえないという点では、目標としてわかりやすいので自己目標として設定しやすいものだと思いますし、そうした資格や検定(バッチテスト)を上達の目安として頑張ることは悪いことではないと思いますし、資格を取得することによって教わる側から教える側に立場が変わることにもあるので、「おれもとうとうここまで来たかあ!!」みたいな満足感も得られたりしてそれはそれで大いに結構なことだと思いますが、資格をとった瞬間に自分は教える側に立って偉いんだとか習うことを忘れてしまう人が出てきてしまうという困った問題が出てきてしまいます。

実は私、正指導員の資格を持っておりません。25年くらい前に準指導員の資格を取って、もういいかあみたいな感じで受験すらしていないのですが、東京の会社に転職して、そこのスキー部の合宿みたいのに参加させてもらった時に、指導員持っている変な人に絡まれてめっちゃめんどくさかった経験があります。個人的な印象かもしれませんが雪なし県って資格のステイタスが高いみたいで、自己紹介の際に資格を聞かれ、「準指導員です」話したら急に上から目線になった指導員の方がおりまして、頼みもしないのに教えてやるモードで一緒に滑ることになり、結構なザクザク雪(今はなき浦佐スキー場でした)で難しい雪面をヘロヘロになって滑った後に「お前、なかなかやるじゃん」みたいな話になり、こいつ準指の資格しか持っていないくせに結構うまいじゃん、じゃあ、なにか別のところで格の違いを見せねばと思ったその方は宿にあった1年前のシーズンに開催された浦佐スキー技術選のビデオの話を始めました(泊まった宿においてあったらしい)。「なかなか、うまい人が優勝していたけど、もっとこんな感じで滑らないといけないだよね~」みたいなうんちくを私に語ってくれたのですが、そのビデオに出ていた優勝者って私だったのをご存じなかったようでした。さんざんお話をした後に「貴重なアドバイスありがとうございます。そのビデオに出ていた優勝者は私です。いただいたアドバイスをもとにもっと練習します~」と嫌味を込めて話をしてしまいました((汗)大人げない)。しかし、なんと、ご本人は嫌味を言われているのに気づかなかったようで、私に絡んできては、上から目線の発言はその後もしばらく続きました。しばらくして一緒に草技術選に出ることになり、その大会で私が優勝し、その方がびりから2番になってからは二度の連絡が来なくなったという体験をしたことがあります(笑)。

スキー教程って??

全日本スキー教程に書かれている内容は教科書というよりインストラクションマニュアル、これやってこういう風にできるようになったら次にこういう練習させるとうまくなるかもよ~みたいなことが書いてあります。それはそれで初心者を上達させるためには効率的な手法だと思いますので意味はあります。そういえばスキー教師のことをスキーインストラクターと言ったりするのはそういう事かあ!!

指導者=インストラクターならそれでいいと思うのですが、私も含めて指導員という名称にはそれ以上の何かのイメージを持ってしまうことに問題があるように思います。師匠みたいな!!

スキーの世界におけるもう一つの問題点は前にも散々書きましたがうまい人がえらいみたいな風潮があり、その人を絶対的にあがめないといけないみたいな雰囲気があります。雪上ではスキーのうまいただのおっさんという見方は許されないんですね~。

デモンストレーターという職業??

ちなみに基礎スキーの世界ではデモンストレーターという制度があるのですがこのデモンストレーターというのがまたあいまいな表現でして、模範的な滑りをする人という意味でしょうか?スキー教程の中で滑っている人がデモンストレーターですので、「滑る教科書」みたいな滑り方ができる人のことを言っているのだと思います。これには選考会があってこの中では「こういう滑りをしなさい」という定められた滑りができているかどうかをジャッジが採点して選ぶ仕組みになっています。プロスキーヤーとして飯が食えるかどうかよいう点でいうと、このデモンストレーターになれるかどうかが結構重要で、選ばれるとレッスンプロとしてお客さんがつくようなステイタスが得られるみたいな感じですね(全日本スキー連盟のSAJデモとナショナルデモの違いについては説明できません)。

じゃあデモンストレーターになると教えるのがうまいかというとそんなこともなくって、レッスン受けても???という方が現れたりします。そりやそうでしょう。教え方の巧拙が選考基準には一つもありませんから・・(あった時代もあるようですけど)。

過去にデモに選ばれたけどまったく人に教えられなくて「なんであんな奴をデモにしたんだ!!」という非難が山ほど出て、選考ルールを変えちゃった人を知っています。

一緒に滑ったことがあるのですが、スキーの板のたわませ方とそのたわみ戻しを推進力に変えるという身体の使い方がめちゃくちゃうまくて普通の人が見ても「上手い」という滑りができるんですね~

しかしなぜそんな滑りができるかということに対して本人もよくわからないらしく例えば「切り替えの時にこんな体の使い方しているようだけど、それって何を意識してる??」とか聞いても何にも答えられないんですね。おそらく滑らせることに対する体の感覚がめちゃくちゃ優れていてその感覚に従って滑っているだけなんだろうなあという印象でした。当時オフトレでインラインスケートをストック持って斜面で滑るということをやっていてそこにも彼女は来ていたのですが、人からもらったボロボロのインラインスケートにめちゃくちゃすり減ったホィールで斜面をターンしているのに彼女はほとんど減速していないんですね~。当時(20年くらい前)はそのオフトレのインラインスケートのレッスンプロ活動している方が何人かいてインラインスケート技術選みたいな大会もあり、レッスンプロの人がそこで講習とかするのですが、そういう方々よりも圧倒的に上手くて、講習会場がざわざわしてしまうというとんでもない方でした。高校まで競技スキーやっていて、卒業してそのまま地元のスクールに所属し、基礎スキーを始め、それから数年でいきなりデモになってしまい、世間のやっかみと圧力にさらされてその後すぐにスキーを辞めてしまったのですが、今考えるとすごくもったいないしかわいそうだったなあと思います。

まあいろいろ書きましたけど、結局のところ教えるというか、指導することに対する体系化ができていないからこんなことになるんではと思います。スキーが下手でも選手を育てる人がうまい人がもっといてもいいはずだし、スキーがうまくても教えるのが下手な人はいきなり指導の現場に立たせたりせず、教えることに対する研鑽を積む場を提供してあげるべきだと思います。「スキーがうまい人」=「教えるというのがうまい人」と刷り込みからそろそろ脱却すべきではないでしょうか?

スキーにコーチングはあるのか?

さてようやく話が本論に戻ってこれたのですが、

日本のレッスンプロのほとんどは技術や体の使い方について教えているのでティーチングがほとんどではないでしょうか?「言って聞かせて、やってみせ、やらせてみせて、うまくいったら誉めてやる」という流れですよね。この流れではやって見せるというのもとっても大事なのでデモンストレーションというのは有効だと思います。でも先述の彼女のように全く理論が語れないケースもあるので今のインストラクションガイドでなくもう少し理論的な指導書が必要なのではとおっもいます。

さて、じゃあスキーの世界でコーチングはどうなんだという話になるのですが、基礎スキーの世界でコーチングできている人っておそらく数人しかいないんじゃないかという気がします(数人というにはそれに該当しそうな方を数人知っているからなんです)。現役選手の時はあまり有名でなかったけど、その人に習うと習った選手が成績が上がる、あるいは特定分野の滑り方(例えばこぶ斜面)については、TOP選手も習いに来るみたいな方ですね。アルペン競技の世界は詳しくないので???な感じですが、それっぽい人は強豪校の指導者にいそうな気がします。

スポーツコーチングについてまだまだ勉強できていないのですが(今ちょこちょこ勉強中です)、こうやって考えてみるとスキーの世界ってコーチングにとってはもしかしたらブルーオーシャンかもしれないかもと思ったりします。

サッカーや野球のようなゲーム性の高いものって、状況の中でどう判断するかという自律的な思考と行動、決断が必要になるのでコーチングってとても親和性が高いように思います。

サッカー漫画でコーチングを取り上げたタイトルを説明しているブログがこちら

自律的な学びの有効性

競技スキーから基礎スキーに入ってくるというのが日本のスキー業界では自然な流れになっていて、そういう人たちからは競技スキーやっていた時に基礎スキーもやっていたらもっと競技スキーでも成績が出せたのにという話をよく聞きます。これについては私はだから基礎スキーの世界に理論があるということではなく、自分の滑り方に対してある程度言語化して表現するというスキルを身に着けるとともにそれを他人に教えるという過程の中で教える順番やロジックを自分の頭の中で組み立てるという能力が高まり結果的に自分の滑りを客観的な視点で見て、さらに修正点に気づき、さらに自分の滑りの質を高める能力が高まるからだと思っています。身もふたもない言い方をすると人にわかりやすく教えるためにそういう自律的に訓練を行っているが故にそういう能力が習得できているのでは?思っています。

現在、スキーも上手くて教えるのも上手い人は、最初はスキーはうまいけど教えたことはなかったけれたけど、そういう自律的な訓練を行って自らを高めることができたということですね。ちなみに最近はだいぶ少なくなってきましたけど、競技スキーはほとんどやってないけどスキースクールで教えながら自分もどんどんうまくなっていったという人もおりまして、こういう人もこのモデルを自律的に回して上達してきた可能性が高いと思われます。ちなみにこの中で出てきた「自律的気づき」、「自己変革と成長」というキーワードはコーチングにそのまま当てはまるものです。であればスキーの技術を教えずにコーチングだけでスキーがうまくなるという可能性はあるのではと思いますがいかがでしょうか?

スポーツコーチングについていろいろ情報を集めている途中ではあるのですがあるレベル(これは技術レベルと身体と精神の成長レベルの両方)まではティーチングとコーチングの両方をおこない、アスリートレベルになるとコーチングがメインというのが一般的なようです。

このように考えると上級者とかアスリートレベルとしてのスキーヤーに対してはコーチングのみによるの上達の可能性があるように思います。

スキーマニアだけどそんなにうまく滑れないスキーコーチを目指そうかなあ




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