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Netflixを解約するまで後30日〈サンクチュアリ4話〜5話〉

とうとうNetflixに堕ちてしまった哀れな人間による恥の多い備忘録である。せめて心までは堕ちぬよう抵抗していくために筆を取る。
Netflix、お前は「キャンセルや解約は簡単にできますのでお気軽にどうぞ!まっどうせそんなことできないでしょうけどね!こぉ〜んなに面白いコンテンツだらけの我がNetflixですから!」とのたまっているが、絶対に思い通りにはさせない。

『サンクチュアリ -聖域-』第4〜5話

早く全話観たいがここは我慢。そう思うくらいには熱中して視聴しているこの作品だが、王道のスポーツドラマの部分にミステリ要素の追加され、より楽しみ方が多角的になってきた気がする。全8話とのことなので明日には全話観終わることでしょう。リモートワーク万歳。

物語も佳境に差し掛かってきたところで「聖域」とは何なのか考える。
元々物語として相撲界の言わば前時代的なしきたりや閉鎖的な現状について描かれている部分が多い。そしてそれを主人公・猿桜が破天荒な振る舞いで痛快に破壊していく内容なのだが、この猿桜が果たして愛される主人公なのかと言われると賛否あるだろう。

いくら相撲界が古い体質の「聖域」だとしてもそこに暮らしているのは人間で、稽古ならまだしも、一緒に暮らす上で傍若無人な振る舞いをすれば当たり前のように人は離れていく。
猿桜は相撲界に入る前いろいろあって荒んだ生活を送っており、自分の力ではどうすることもできない境遇で生まれた鬱屈した心を暴力で発散していく。その振る舞いは各界に身を置いても変わらず、平気で仲間や先輩、初対面の人間にも平気で暴力を振るい悪態をつくその姿は痛快さを通り越して悲痛にすら見えてくるほどだ。

そんな猿桜をもちろん周りは良く思わない。相撲という「聖域」を破壊せんとする彼の悪童っぷりを評価して近づいてくるのは、良くも悪くも「外れた」人間ばかりだ。
言わばダークヒーローのような形で東京の煌びやかな鈍い景色に飲み込まれていく彼の姿を「ざまあみろ」と思うことだってできるだろう。

そんな彼はある日稽古で先輩の膝に大怪我を負わせてしまう。病院へ向かう車を見ながら彼は叫ぶ。
「俺、悪くないよな!」
もちろんそれは自分のしでかしたことに対する自己保身から生まれた言葉で後に彼もその自責の念に悩まされるのだが、慕われていた先輩に怪我を負わせそんな態度を取る人間に仲間は寄り添うはずはない。
その日の取り組みで勝利したものの上記の一件から上の空のまま戻る猿桜には結局誰も寄り付かず、痛み止めを打ち相撲生命を賭けて戦った先輩に仲間たちは駆け寄っていく。猿桜はそれを寂しく見守っているのだ。

果たしてそれは「聖域」の話なのだろうか。ただただ嫌われることをした人間が嫌われていく。至極当たり前の、この現実社会の常識が結局この「聖域」にもあるというだけなのだ。

ならば「聖域」とは結局なんなのか。
侵してはならない領域、猿桜の父親への想いなのか、不気味な巨漢・静内の過去なのか、「聖域」として描くことで護られる本当の「聖域」があるのだろうか。
残りの3話、スポーツドラマ以外の部分も注視していきたい。猿桜に対してどちらに感情の鍼が動くのか。それによって自分の「聖域」を測ってみてはどうか。


Netflixを解約するまで後30日

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