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アイデア出し

 大学はデザイン科に行った。小さいころから絵を描くのが好きだったから。ただそれだけの理由でデザイン科に行ったものだから、同じ新入生の画力をみて愕然とした。すすすごいみんな絵が上手。
 親しくなってから聞くと、みんなちゃんと美術系入試予備校のような所で学んで入試にのぞんだらしい。その話を聞くまでわたしはそんな学校があることすら知らなかった。昔だから基礎もなにもなくてもなんとかもぐりこめる余地があったのだと思う。
 なのでデッサンの時間などは自分の下手さがまざまざと感じられて、とても肩身が狭かった。ただ、当時のデザイン科では、パネルの水張りとか、コンパスやT定規の使い方とか、カラス口とか溝引きとか。絵を描く以外の勉強も多かった。
 入学してはじめのころに、新聞紙の利用法100通りを考えるという課題が出された。新聞を読むから始まり、湿気取り、窓拭き、包装紙、などなど、とにかくなんでもいいから100通り考える。
 最初は美術系学生らしく、絵を描くとか切り絵とか濡らして成型などとか書いていたけれど、すぐにネタ切れして、乾燥、養生、包装のバリエーションで無理矢理捻り出したような気がする。もちろん害虫をやっつける方法のバリエーションもあったはず。
 いまならググったりchatGPTでチョチョイとすればあっという間に答えがすらすらと表示されるけれど、当時はそんなものはなくて、ない頭をうんうんひねって、反則だけどまわりの家族などにも聞きまくったりして100個書いた。
 課題の期限はたいてい一週間なので、一週間ずっと新聞紙のことばかり考えていた。他のことを考える余裕もなく、夢に出てくるくらいずっと。他の課題も日々出されるので、他の課題で線を引いたり色を塗ったりしながら、新聞紙、新聞紙と考えていた。
 無事新聞紙の課題を提出して、なにか講評のようなものがあるかと思ったら、ただ100個書いてさえあればOKだった。あんなにがんばって考えたのに先生!と思ったけれど、先生からすれば100人近い生徒の似たり寄ったりの100通りに感想を付けるのはうんざりだろう。100万にひとつくらいは目を見張るような画期的な答えがあるかもしれない。いや多分ない。全部に目を通すだけでもイヤになるとおもう。
 でも新聞紙のことを考えていた一週間はよかった。ずっと新聞紙のことばかり考えていると、同級生の素晴らしい作品や、比べて自分の作品の下手さや、この学校を選んだことを後悔したりしていたことを、少しの間忘れていた。感想とか主観とか価値とかを必要としないことを考え続けるのは、人と比べてたり後悔したり、くよくよすることで頭をいっぱいにするよりも、ぜんぜんマシなような気がする。

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