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闘うこと

 甥姪が小さかったときに、合気道を習ったら?と勧めてみたことがある。
 理由は、わたしがやってみたかったから。なぜなら悪いやつから身を守る必要に、迫られないのがいちばんだけど、もしもの時に「えい、やっ!」とやっつけたら格好いいじゃん、と思ったから。安易である。
 「習い始めたよー」と報告があって、トラディショナルなユニフォームを着た写真を見せられて、少しして調子はどうかと尋ねたら、もうやめたと言う。
 ああそうなんだ、なにか楽しくなかったのねと思い、そのままそのことはすっかり忘れていた。
 友人に剣道の有段者がいる。お兄さんの影響で子どもの頃から始めて、大会で兄妹揃って優勝したりして、その方面では有名だったらしい。本人は「剣道やったことある」くらいにしか言わないので、そんなにすごいとは知らなかった。しかも性格が温厚で平和を愛する人なので、ちょっと剣道とか柔道とかレスリングとかの「闘いごと」とイメージが結びつかなかったのである。
 何かの話でその剣道の話題になって、
「稽古でずっと素振りやってる時はよかったんだけど、初めて試合の練習をしたときに、友達を撃つことが嫌で嫌で、なんでこんなことしなきゃならないのと思ってすごく嫌だった」
というのを聞いて、目から鱗が落ちた。
 そうか、闘う競技は練習も闘う。練習仲間と闘わなければならないのか!と。
 そりゃ嫌だろう。いつも仲良くしていて、良いことがあればともに喜び、悲しいことや嫌なことがあればすぐに解決してほしいと望む、好きなフレンドをなぜぶん殴る?やっつける理由も必要もどこにもない。なのに闘うとは?
 友人は深く考え、さまざまな人と話し合ったりして剣道を続ける決意をしたそうだ。
 甥や姪には聞いてはいないけれど、そういうことがいやでやめたのだろう。そういう子たちだから。
 わたしもずっと人と競ったり、勝ち負けを目的とする事に携わることなく生きてきた。闘わなければ生きてゆけないような目にも遭うことなくやってきた。幸いなことに。

 朝ドラ「虎に翼」を見ている。いまちょうど昭和19年を描いていて、心優しい男の人たちが次々と出征してゆく。頭からバケツの水を浴びせられて「気にしないで!」と笑顔を見せたり、好きな女の子が悪い男に暴力をふるいそうになったら身を挺して盾となるような、そういう優しい、平和を心から愛する人たちが、戦争へ行って、武器を持たされて、敵なんかをやっつけることができるんだろうかと思う。
 もうすぐそのばかな戦争は負けて終わるんだから、命かけるなんてむだだから。歴史で習ったわたしたちは、やめてやめてと思う。
 人をやっつけるのも勝ちたい気もない人たちにとって、戦争へ行くことはどういうことかと思うと、まったくやりきれない気持ちになる。ほんとうに戦争ってだめだ。
 では、とにかく誰かをやっつけたい、勝ちたいと思う人は、理由も必要もなく、敵だから、相手はどうなっても良いと思うのだろうか。敵だからやっつければいいと、死んでしまえばいい、いなくなればいいと思うのか。
 侵略されて、自国を守るため、大切な人たちを守るために戦う人はどんな気持ちで戦いにゆくのか。
 家族を殺され仲間を殺され復讐のために武器をとる人は…。
 ぜんぜんわからない。

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