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アンド降参

理屈では片付けられない
悲しい話なのだが、
おろしたてのシャツほど、
珈琲をこぼし、スープの雫を飛ばす。

生活の知恵を拝借するために、
yahoo!の袋を眺める。

そうかそうか、そうやれば
落ちるのかと腑に落ちた頃、
関連の質問のアウトラインも出てくる。

そこには
「先日、制服のまま、していたら、
彼氏のが飛んでしまいました」と。

なにをやっているんだ。

でもその数秒後に、いつも思うのは、
男の中で、
けしからん親父が顔を覗かせたときは、
未体験の事例だからである。
未知への羨望なのである。

そして敵わない相手であり、
叶わない夢であることを思い知らされる
ことである。

その日、その時、その齢でしか
味わえないことなのだ。

スリランカへ行ったことのある人は、
人生観が覆るほどではないことを
知っている。
拳銃を握ったことのある人は、
喫煙所ですら前科を駄弁る必要がないことを
知っている。

つまり起こるべくして起こる人にとって
「別に普通」なのである。

こちらからしたら、そんな一言では済まされないことなのであるが。

あ、それ、通ってない。

悔しいのである。

例えば、自転車の二人乗り。

私が知っている限りでは、叔父が酔っ払って他人の自転車で蛇行運転して帰宅して、
翌日、警察からの電話があったことだ。

求めているのは
それ、ではない。

ベタを踏襲せず、のらりくらりやってきてしまったから、もう手遅れである。

アンド、世の人気者に
ひょうきん族は降参である。
ピーエス、とどのつまり、
家庭用洗剤と熱湯である。

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