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父親と登山

初めて一緒に登った山は、大雪山の黒岳である。その頃、自家用車が無かった我が家では、汽車と、バスを乗り継ぎ、層雲峡まで移動。宿泊は、もちろん、テント泊だ。その頃は、三角テントが主流で、本体、ポール、フライシート、床に敷くシートと、分かれていた。重量もそこそこあったに違いない。
翌日、黒岳へ向かう。ロープウェイに乗り、リフト乗り場へ。自分は、父と一緒に乗り、弟は、母と一緒に乗って、山頂を目指す。途中、抱えていた荷物の紐が切れ、慌てた事だけ、覚えている。
途中の記憶、山頂の様子など、一切覚えていない。興味なかったから?雨が降り出し、黄色いカッパを着たこと、下山したら、テントが水浸しだった事は、鮮明に覚えている。翌日、赤岳に向かった記憶が、はっきりしないが、下山後、登山口の小屋?ヒュッテで、休んでいた時、隣のおじさんが食べていた、うどんが美味しそうだった記憶がある。
その後、小学、中学、高校と、機会があるたびに、一緒に山に向かった。大雪山お鉢まわり、剣山、十勝岳、伏見岳、春の芽室岳、芦別岳、知床縦走。
いつか、父親より、体力を追越す日が来ると思っていたが、案外早く来た。知床の下山道で、足を踏み外し、転落、軽い怪我をした。それ以降、極力荷物を沢山持ち、負担をかけないように、気を遣った。
父は、山登りの楽しさを息子に伝え、そして、過去の思い出を振り返り、行けなかった山の山頂を目指す事が、楽しみだったに違いない。
そこに、どれだけ、かなえる事ができたか。今はわからない。その分、自分の家族や、知り合い、後輩に繋いでいき、楽しさを教えてあげたい。
そう、考えている。

父から、受け継いだ、門田のピッケル。