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好きなところはあります。

うーん。

朝から唸っています。うーん。なぜ唸っているかというと、1ヶ月書くチャレンジ、今日のお題がなかなか難しいから。

「自分の好きなところ」

日本人には答えづらい質問だなあと感じました。少なくとも、わたしには答えづらいですよ。好きなところ、まったくないとは言わないけれど、100%の「好き」ではないから、このお題に誠実な答えになるのかしら、と考え込んでしまいます。

うん、でも思い切って! 1ヶ月書くチャレンジ、いっきますよー!


わたしの好きなところ。


わたし自身に対して、好きだと感じるところは、それなりにあるのです。

思い立ったら、すぐ実行するところ。約束や締切を守ろうと努力するところ。人を利用しようとはしないところ。

むかしは、好きでもない、ただの特徴でした。どちらかといえば、鈍臭いとか、そういうふうに感じる特徴でもあったかな。恥ずかしいと感じる瞬間すらありましたね。

でも成人して、社会に出て、それなりに痛い経験も味わったあとに、自分のこういう特徴を振り返ってみたら、「いいなあ」と感じたんです。

少なくとも、「友達」と呼んだ人間を利用しようとする人よりも、真っ当な特徴だわ、と考えるようになったんです。

同時に、そんな自分を「いい人」とは誤解しないように、と考えるようになりました。わたしはたまたま、そういうふうに考えるようになっただけで、いい人ではない。雑念や下心を持つことだってある。だから絶対に、わたしはいい人じゃあない。

そういうふうに、自分が常に正しいと考えないように、自分を戒めているところ。

それがわたしの、いちばん好きなところかもしれません。

自分は本当に正しいのか?


こんな世の中だから、批評しようとしたらいくらでも批評できる対象は見つかります。感情的になって、批判意見に同調したくなる瞬間もある。

でもそのたびに、わたしは大学時代の音楽教師の話を思い出します。

その教師は、かつて弁護士をしていました。あるとき、夫の暴力に苦しめられている妻の離婚をサポートしたのだそうです。証拠を集めて、慰謝料も獲得して。けれど、裁判が終わったとき、相手がたの弁護士が見せてきた資料は、サポートした妻の不倫。それで音楽教師は、クライアントを信じられることができなくなって、音楽の世界に転職したのだそうです。

「どうして相手がたの弁護士は、最後までその資料を活用しなかったのだろう」という疑問が当時からありましたが、このエピソードの主点はそこではありません。人間には、知ることのできない一面がある。他人には、その人間が見せたい一面しか、あるいは、他人が見たいと感じる一面しか、知ることができない、と、このエピソードから学びました。

批評するときも、同じではないでしょうか。

批評したいと思ったとき、わたしはその対象の、批評したい一面しか見ていないのではないでしょうか。

それは他人を都合よい存在に当てはめている、ということに他なりません。

わたしはそんなことをしたくない。

でもそれは、あくまでもわたし自身の気持ちです。いわば嗜好です。だからそんなふうに考えるようになった自分をいい人だとは思えないんですね。

いま、付き合いのある友達が褒めてくれるときがあっても、「ありがとう」とだけ返して、気を緩めないようにしています。

なんだかんだといって、わたしは自分がかわいい。大切にも思っている。だから自分以外の他人を軽んじることなんて、簡単にできてしまう。そうならないように、わたしは「自分が正しい」とは思わないようにしています。

だから自己肯定感低くなるんじゃないかなあ、と考え込んでしまうときもありますが、それでもね、本当の、最低限の自己肯定感は持ってるから。

大丈夫。わたしはちゃんと自分が好きです。





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