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櫻坂46『何歳の頃に戻りたいのか?』 短評、そしてこれからの櫻坂46を見つめるために

帰るべき場所は前身グループではない。そんなことは判っている。しかし、誰もがかつての輝かしい時代を脳裏に浮かべ、初期衝動の加速が機能不全を来したことなどすっかり忘れながら、かつてのセンチメンタルを反芻する。制服は、スカートは、いつになっても青春の共通言語として、時代を、社会をいとも簡単に横断してしまう。その無責任な記号が我々を永遠に刹那へと閉じ込めてしまうのと同時に、いつまでも我々を成長させない。だが肉体は老化してゆく。指スワイプで簡単に取捨選択を迫られ、無理矢理にでも時間軸が次へ次へと、前へ前へと進んでいくTikTokや恋愛マッチングアプリなんかとは対照的に、「推し活」とは特定の対象に対して固執し、時間軸を無視した上でその場にどっしりと身を置くことがむしろ自分の存在価値となる。鑑賞者は、いつまでもその場を動こうとしないが、時代はそれを無視して過ぎ去っていく。そんな現実に対して、タイトルの『何歳の頃に戻りたいのか?』という問いは、過酷にも《本当にあの頃そんな楽しかったか? きっと特別楽しくはなかっただろう》《過去に戻れやしないと知っている 夢を見るなら先の未来がいい》と叩きつける。この歌詞を18歳の山﨑天が表現すること、作品の主題としてのアンビバレンス性はそこにある。生と死、出逢いと別れ、成功と過失…それぞれの要素を背反させ、青春を否定しながら青春を肯定することは、例をあげるとすればティーンからの支持を強く集める今日のJ-POPの詩世界の根底にもあるように、"若者観"のテーマの一つとして確実に存在する。もっともこれを露骨に表現していたのが欅坂46だったのかもしれない…という考えが浮かぶのだが、その逡巡は本文の頭に戻る。

確かに『Start over!』『承認欲求』『何歳の頃に戻りたいのか?』を三部作だと考えると、それぞれのセンターを今作でフロントに据えた采配も、三部作の終わりだと言わんばかりのスタオバや承認欲求からの露骨な振り付けの再現も、全てに納得が行く。つまり、グループは躍進の2023年に区切りをつけ、明確に新たな方向性を打ち立てるのではなく、2023年に培った熱量をそのまま延長させるように、今作『何歳の頃に戻りたいのか?』で待望の山﨑天という札を切った。櫻坂46に改名した当初にフックアップされた藤吉夏鈴・森田ひかる・山﨑天という三本槍でもって三部作を実演し、今作のフロントで再集結させた。ここで一旦の回答と、次に向かうためのパワーを備えること。

ステージパフォーマンスや演出に磨きをかけながら、それでいてどこまでも「物語」で動いているのが今の櫻坂46である。演者が「物語」を観客と共有する上で重要なのは「グループの歴史というものは自らが生み出した創作物の引用と参照によって累積されていくものである」という事実を観客に対して気づかせることであり、それによってファンダムは論調を加速させ、同時に外野の表層的な意見を突き返す能力が生まれる。良くも悪くも、の話なのだが。サウンドやトラックが今までとはまるで違った様相を呈していたとしても、その根幹には過去と現在、そして未来に脈々として繋いでいくための重要な要素が共通してある。そういった絶妙な采配をうまく匂わせる創作物が、今日のゲームを勝ち続けていく。極端に言えば、過去の創作物と最新の創作物が極端に文派した瞬間に、グループ・アイドルは、アーティストは、終わる。外野に才能を都合良く刈り取られてしまう。そこで評価されるものがないわけでもないのだが、決してバブルは長続きしない。まさしく欅坂46がそうだった。2016年にリリースした『サイレントマジョリティ』『世界には愛しかない』『二人セゾン』という事実上の三部作と、その後の『不協和音』以降の作品群とでは、間違いなく作品の根幹部分が分派している。『不協和音』以降では、作品が供述する"彼女たち"と"大人たち"の主張の勾配が明らかに後者へと拡大していったこと、舞台に立つメンバーそれぞれの主体性がどんどん刈り取られていったこと。そのことに気づくことができなかった観客が、演者が、欅坂46を消耗させていった。当然そこに自分も含まれていたのは間違いない。

『何歳の頃に戻りたいのか?』のミュージック・ビデオに登場する演出や振り付けは、楽曲タイトルが促す露骨な回帰性を忌避するかのように、欅坂46からではなく、あくまで櫻坂46の過去の作品群からの引用を繰り返す。つまりそれは現在のグループに従順ないし好意的なファンに対しては近年の作品群を肯定しつつ現在の在りざまを見せ、そして心のどこかで未だ欅坂を引きずっている鑑賞者に対しては「櫻坂を経由して、かつてのわたしたち(欅坂46)のことを想ってもいいですよ」という譲歩すらも許容している。そうなれば今のグループを応援するか、はたまた離れるかどうかは観客の手に委ねられており、かつてのグループと比較させ燃焼不良に不満を漏らす貴方が今のグループに欲求するものはもう何も無い。グループを去る小林由依がインタビューで口にした「(この先)私のファンの方が違う子を推してもいいし、櫻坂46から離れてもいい。それぞれの生き方を送ってほしいと思います。何かの節目に振り返った時、"学生時代にゆいぽんを推していたな"とか"受験の時にライブに行くか葛藤したな"とか、人生の思い出として残してもらえたら十分です」※ という言葉にも集約されている。ただ一つ、平手友梨奈が欅坂46を脱退した18歳といよいよ同い年になった山﨑天が、次の未来を描こうとしている。それを少しでも追いかけてみたくはないか?どうだろう。貴方が櫻坂46を指先でスワイプするかどうか、今がその分岐点であることは間違いないだろう。たとえ対象に溺愛していたとしても、貴方は貴方で考え、行動していってほしい。それが各々の福音に向けた第一歩となるだろう。

※出典:『東京カレンダー 2024年3月号』東京カレンダー、2024年、P109

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