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”独り”で食べることに慣れちゃいけない

 ひとりで食べるってすごく気楽。選びたいものを選べるし、寝っ転がって食べたっていいし(とはいえ、ちゃんと座って食べたほうがおいしさを味わえると思うけどね)。
 家族や誰かと食べてても一緒に食べてる気がしないこともある。なにかしら小言を言われながら食べてもたのしくもおいしくもない。他の人の会話に混じれないから時間を共感できない。
 だけど、家族や誰かと食事の時間が合わなくてひとりで食べてても、料理をした人の気持ちが届けば独りを感じないことだってあるんだ。

 事情で姉の家族の中にいた時期数年間あって、その頃に義兄のパワハラを受け続けてたんです。家族感ゼロだからねぇ、すっごく孤独でした。家にいても気持ち悪いから会社で残業させてもらっても「帰りが遅い」だのって言われるしね〜。
 ある日の食事の時にいつものように小言を言われた時に堪忍袋の緒がついに切れて、ちゃぶ台をひっくり返す勢いで義兄に言ったんです。「あんた一体何様のつもりよ?もう耐えられない、出てく!」家を飛び出して、車に乗って、事情を理解してくれている友人の家に泊めてもらえるようにお願いしたのね。友人の家は、農家の大きなおうちで、行くと友人とお母さんとおっきな秋田犬が迎えてくれました。「まぁまぁ、大変だったでしょう、きれいな家じゃあないけど、空いてる部屋、使いなぁ」ありがたかった。お台所でお料理をするお母さんのお手伝いをしていたら、お父さんもやってきて、なんだかにぎやかな食卓になったの。
 小さい頃にお父さんとお母さんがいたおうちみたいに居心地がいいなぁと思ったの。

 今となっては義兄にも彼なりの言い分があったんだろうなぁとは思うし、そういうのを糧に奥深い人生を生きるようになったけども、私にとっては死にたくなるくらいイヤな時間を作りやがったのは、やっぱ罪だよね〜。こういうことを笑いながら話せるようになるまでには、そこそこ時間がかかるのも、よくわかります。

 心が「独り」のままでいると、最悪の場合死に至ります。死んでしまう前に、これおいしいから、ちょっと食べてみてよ、って伝えたいです。顔を合わせなくても、話さなくても、食べもので通じることができたらと思っています。無理に食べなくていいよ、置いておくから食べてね。お話も、そのうちしよう。お話ししたいことがあったら聞かせてね、食べたいものも教えてね。

食べものには、命を助けるフォースがあると思っています。

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 今日も、最後まで読んでいただきありがとうございます。毎日の食事がおいしいというのは、尊く、かけがえのないものです。そういう環境に心を置きたくて、今まで身体中からいろんな体液出しながら生きてきたんだろうなぁ。
 先日、夫婦箸を買いました。飛び上がってよろこぶようなことはしないですが、うれしかったです。

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