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強かったら守れてたんだろうか? 愛と性欲の違いについて

自分は中性的見た目をしていることもあって

あまり男らしいと言われたことがない

どちらかと言えば女々しい部類に入る

ただ、女々しい自分が好きかと言えば

そうではない。

自分がもっと男らしく振舞えて

強かったとしたら(精神的にも肉体的にも


誰か(あるいはあの子を) 守れたんだろうかと

考えることも多い。

自分が強くて頼りがいがあって

世間が求める動きをできたとしたら。

ニーズに的確に応えられていれば…

すべて たられば であるが、

そんな幻想を抱くこともある


年相応の年齢になって

自分も大人の男性になってきたんだなと

最近は思っている

それは精神面やスキルが上がったとかではなくて

生物としての根源的な欲求がピークに達していることを自ら感じている  という点が大きい

どんな男にでも根源的な欲求は存在する

昔はこの欲求を抑えられるものだと思っていたが

どうにも難しいことがわかってきた。

今はこの欲求も昇華する他ない。

ただ繁栄を諦めろと言われても生物的な自分の奥底が拒むのがよくわかる。

なんて面倒な機能なんだろうか。

そんな一方的な理由で誰かを巻き込む訳にはいかない。

せめて提示できる良い条件、環境を獲得してからでないと、それは愛情というより、ただの性欲になってしまうのだ。


自分にとって性欲と愛情は別物だ

性欲は単なる動物的な欲であって、あまり相手を選ばない衝動的なもの

愛情とは真に相手を思いやって、相手のことを第一に考えることができることだ。つまり深い思いやりだ。

ゆえに必ずしも相手と一緒にいることが愛情だとも思ってない部分もある。

仮にその人と縁がなくても、愛情は存続しえるものだと思っている。

勘違いも甚だしいかもしれないが、若造の自分はそう感じている。


今まで好きになった人は数多く、

特に少年期なんかは、1年に一回くらい

恋愛対象が変わっていたことを思い出す

あれは性欲だったのか、愛情だったのかよく分かっていない。

ただ、今もどっか遠くで、誰かと幸せに過ごしていることを願っている。つまりこれは愛情なんだと思う。

どんな理屈をこねようとも、自分に提供できる価値がなければ、長期的な信頼関係は獲得できない。

そのためには自分自身が強くなる必要があると思っている


目指すのは有害な男らしさではない

真に、1人の人間として成熟することだ。

筋トレに勤しみ家族を顧みない身勝手な男にはなりたくない。

ただ、誰かのために生きる人間でありたい

その誰かって誰なのか?

わからない

おそらく一生巡り会わないかもしれないし

巡りあったとしても半年で破綻かもしれない。

どういった結末であれ

きっと誰かのために生きたと言える人生なら

少しは満足できるだろうか。



ただ、よく考えてみると

自分が今まで抱えてきた感情って

ただの性欲だけだったかもな

とも思える。性欲といったら聞こえが悪いから

なんか無理矢理  理由をつけて

愛情という2文字に都合良く変換しただけ

とも言えるんだよな。

そう考えると性欲のままに生きて

なるようになる

と結婚していく自分の同世代は

正しい判断をしてるのかもしれないな。

でも愛と性欲は違うものだと

どっかで信じていたいかも。


よく考えたらめっちゃ薄っぺらいなこの議論


すごく稚拙なので、たぶんこのまま、たいして成長しないまま生きてゆく。


続く





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