恩師(影響を与えてくれた先生)について

幼稚園児時代  I先生

幼稚園の年中の担任はとにかく厳しかった。
給食はすべて完食しなければ、昼休みに入れないくらい厳しかった。好き嫌いを個性として認める先生ではなかった。

きゅうりが食べられずに居残りになってた先輩のことを未だに思い出す

年中の梅雨時期に、自分は初めて登校拒否をした。裁縫(ぬいとり)の作業がうまくいかず、怒られるのが苦になっていたからだ。上に出して、下に突っ込んで、上に出す。こんなシンプルな作業が自分にとっては難しかった。

担任は当たり前の基準が高い人で、一定基準に満たない生徒は個性という2文字で許さない人だったと思う。それでも初めて巡り合った先生が厳しい人だったので、その後は楽に感じた。
最初が鬼みたいな先生で良かったと思う。


小学校時代の担任 ○先生

最終学年の6年の担任I先生。体育会系で、バスケの鬼と書いたTシャツをよく着ていた。
自分は体育会系とはほど遠く、GIFアニメの制作にハマっている典型的な"インキャ"だったが、先生は自分の個性を伸ばしてくれた。

自主制作アニメを教室で流すことを許可してくれたり、そのおかげでクラスメートとも馴染むことができた。体育会系でここまで理解のある先生もまぁ珍しいはずだ。

口癖は"無理っていうな"

冗談でも無理というと怒られた。
あとドリームノートといって自分の夢を紙に書き出すことを奨励しており、何冊でもノートを消費して夢を書き出すことを重要視している先生だった。そして問題や悩みがある生徒には徹底的に家庭訪問で状況を確認する教師の鑑だった。

この先生のマインドは今も待ち続けている。

中学時代 外部指導員 M先生

中学時代は担任よりも、陸上競技の外部指導員の先生との時間が長かった。

男子5000m 10000mの県記録保持者で、鬼の練習メニューで鍛錬した。中学1年で16kmjogのメニューがあったことを今も忘れない。
(中学生が走る距離ではない)

それでも他人が絶対やらないことをやっているという自信を持ち、自己肯定感を育めた中学時代だった。

先生は外部指導員なので当然無給だ。本職の夜勤や日勤の合間をぬって自転車で伴走してくれた熱血具合を今も忘れない。


高校時代 陸上部顧問 ○先生

投擲が専門の先生だったが、長距離の指導をしてくれた。一度バーンアウトして退部した自分の再入部を許可してくれ、最後まで放っておいてくれた先生だった。

最初はとにかく厳しい指導を頂いたが
バーンアウト以降は、あえて何も言わずに放任してくれた優しさがあった。叱りたい思いをこらえて放っておいてもらえたことを非常にありがたく思っている。ただ、それでも忘れられないお説教がある。

高3  7月の選手権で暑さに自信がなかったため、専門の5000mではなく、専門外の3000mSCで勝負しようとした自分に先生はストップをかけた。

天皇杯の強化指定を受けてることを今までお前には黙っておいた。お前はプレッシャーに弱いから。だが期待されている以上そこからは逃げるな。挑戦した結果ダメでも最下位でも挑むことをやめないでほしい

そう叱ってもらい、真夏の5000mに挑んだ。
結果は惨敗だったが自分の弱さを含めて後悔は全くない。何より期待してもらえているからこそ、叱ってもらえていることが嬉しかった。

3000mSCは後に後輩が近畿IHに出てくれたので払拭したと思っている
(ワイに影響されて母校にスポーツ推薦で入学し(嘘みたいな本当の話)黙々と1人で練習をつんだらしい)


大学時代  ○先生

高校生時代にオープンキャンパスで学部学科説明を担当されており、この先生に学べるならってことで入学を決めた。

法律を専門にしている先生で、学部では最年少の若い先生だった。

現代法律学入門と経済刑法を受講していずれも可しかもらえなかったことを覚えている。

そんな自分が法律を仕事にしようとしていると知ったら爆笑して頂けること間違いなしだと思うが

近々お会いできる機会に恵まれ、(親友に感謝)

いつか法律家になれた暁には感謝を申し上げたい。

肝心の法律の勉強はというと、実は難航している。こんなnoteを書いている時間さえ惜しいほどには

それでも数々の恩師から言われた言葉を忘れずに進みたい所存

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