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留袖ってなんで『とめそで』っていうの?(・・?)


これ、一度は疑問に思ったという方

多いと思います。

かく言う私もです。



結論からお伝えしちゃいますね〜。

元々の意味は

袖が留まっているから=振りがないから

です🤣


はい、ここ試験に出ますよー(ウソです)



振りが小さいのではなく

振りがない

の意味なのです。



振りがないってどゆこと?

ですよね。

振袖も訪問着も小紋も留袖も、

お袖の『振り』はありますから。

振り、この赤丸の所ですね




では、どう言う事なのか解説しまーす。


江戸時代初期までの女性の着物(=小袖こそで)は男性の着物と同じ形でした。


この頃の着物、お袖の振りが有りません。

胴の部分に縫い付けられています。

こんなのです。





実は江戸時代の前、安土桃山時代に、

子供から少年少女が着るものとして

お袖の長い小袖(着物)が登場しています。

この時に胴体と長いお袖が離れて『振(ふり)』が

生まれました。

袖が離れて=脇が開いていると言う事で、これを

脇開わきあき、

元々の閉じているお袖を

脇閉わきとじとか脇ふさぎ、

と呼んでいたそうです。


さてこの脇開き(振袖)、

江戸初期の記録には1尺5寸とありますから

大体57cm、今の小振袖位ですか。


これが江戸時代の間にどんどん長くなって

男性(少年)は着なくなり、

未婚女性のハレの衣装として定着します。



この振袖に対して

留まっている(縫いつけたままの)袖、

という意味で

留袖と言う言葉が生まれました。




なのですが、主に既婚女性が着ていた

お袖を縫いつけたままの形である留袖は

次第にすたれていきます。

そう、今の着物と同じ形、振りのある、

『袖丈の短い振袖』になって行ったのです。

※これは女性の帯が幅広くなって行ったのと無関係ではないのですが、ここはまた別の記事で。


江戸時代の末期までは

袖の留まった形の留袖も着られていましたが

明治以降の女性の着物は、ほぼ全て

お袖が胴体から離れた、言わば

『振袖』の形にになってしまいましたので、

今となっては

留袖=留まっている袖

が意味分からん様になってしまったのですねー。


だってもう袖の留まった形の女性の着物は、存在しないんですから。


そりゃ

留袖(=留まっている袖)って何の事?

になりますよね~(^◇^;)



日本衣服文化史の教科書(教授のご本💦)で

この流れを読んだ時はすごく納得しました。


ナルホド。留まっているから、留袖。



対して振袖。

振れる袖。

このネーミング、

振袖が特別に華やかな衣装として

登場した時の華やぎが

鮮やかに伝わって来る気がしませんか。



振袖の名称が定着するに従って、

留まっている袖として

留袖という言葉が生まれたと。



ちなみにその頃は、結婚後に振袖の袖を切って

留袖にする(胴に縫い付ける)事も

行われていました。


あくまでも留袖は、

胴にお袖がくっ付いた形の着物

であったのです。


私達が今留袖と認識している裾模様の着物。

あれも元々の意味からしたら、

『振袖』の範疇とも言えますよね。

つまり既婚女性が着る着物として長く有った

留まっている袖の『留袖』は

今は既婚女性の礼装としての、

名称だけが残っているという訳なのです。


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