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言語化をしてほしい話

こんにちは。言語化大好きオタクこと、キモ=オタクです。

言語化、してますか?私は何でもかんでも言葉にするのが好きで、なんなら辞書とか引きます。「この言葉ってこういう意味だっけ?」みたいな感じで。
自分が言語化が好きなこともあってか、周囲の人も色々なことを言葉にしてくれたらとても嬉しいなと思っています。特にオタク。言語化してほしいって感情を言語化します。お手本です!!!!

オタクと言語化の話は切っても切れない関係にあると思っています。オタクコミュニティに所属するオタクは、すべからく言語化の責務があるというのが私の持論です。コミュニティに属する以上、コミュニケーションを取るべきですが、その根幹にあるのが言語化活動だと考えるからです。

オタクのコミュニケーション能力の低さを共感力の低さや独りよがりの発言を繰り返すところにあると指摘する言説をたまに見かけます。部分的には的を射ていると思います。こっちの話を一切聞かないで1人で喋り続けるタイプのコミュ障は喋れないタイプのコミュ障よりよっぽど害悪ですし。ただ、問題はさらに別の部分にもあると考えます。

オタクとなぜ会話が成り立たないのか。そのもう1つの答えは言語化が下手くそだから、だと思います。
Twitterを見ていると、バズったツイートにどっかで見たような画像を貼り付けて自己満足に浸るオタクを見たことがあるでしょう。あれめっちゃ嫌いです。
あの行為は言語化の放棄に他なりません。借り物の言葉で自分の心情を表した気になっているだけです。「この人はまさに自分の思っていることを言ってくれる」というのも嘘です。自分自身で考えていることを言語化してみれば、自ずと表現も内容も少しずつ変わっていくはずですから。

言語化をすることにより、

  1. 言語化に際しては必ず自分の内面を覗くため、自ずと話す内容がしっかりとする

  2. 言語化のためには外からのインプットが欠かせないため、相手の話をよく聞く意識がある

という能力を身につけられます。
話す、聞くは対話における最も重要な要素です。話す内容が一般人と違いすぎると、いくら能力があっても一般人とは話すことが無くなるためコミュ障になりますが、話す内容があるオタクと話す際にはなくてはならない能力です。

私大学ではオタクサークルに入っているのですが、そこはソシャゲのコミュ(エピソード)を読んで話し合うという激キモサークルでした。そこでのオタクとの会話は、アウトプットとインプットの繰り返しで、コンテンツへの理解や感情を深めるのに最高の体験が出来ました。
しかし時代と言うべきでしょうか、最近の新入生とはそれが全く出来ないのです。それっぽいことを言っているように見えても、少し掘ってみると他者からの借り物の言葉で、全くこちらが得られるものがありません。「可愛い」「好き」「尊い」程度の言葉しか出てこないのは、言語化を怠っているからに他なりません。もしくはシンプルに物事を考える能力が著しく欠如しているのか……

私はそんな人間にはなりたくないので、このブログでしっっっかりと言語化していきます。もうオタク趣味は辞めたのですが、言語化は辞められません。映画やサッカーの感想、普段やんわりと思っていることなどの中で、これはソリッドにしたら面白いなと思えるものを書いていきます。よろしくお願いします。

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