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『死んだあとはどうでもいい』世代の怖さ

子有り夫婦と子無し夫婦にについて何度かnoteを書いてきて思うのだけど、
最大の違いは『死んだあとはどうでもいい』という考えの強弱だと考えるようになった。

子有り夫婦には自分たちの子どもの人生、さらにその先の子どもについても思いを巡らすことができるのだけど、子無し夫婦にはそれがない。
基本的に自分たちの死をもって終わりとなるわけなので、亡くなったあとのことに対してあれこれ考える力が弱くなる。

たとえば今年子どもが生まれた35歳の夫婦は、自分の子どもがまだ生きているであろう2100年のことをリアルに考えることがあるのだろうけど、
子どもを作る予定のない35歳の夫婦たちが2100年について真剣に考えることはまずない。
理由はもちろん2100年に自分(たち)が生きている確率が非常に低いと知っているから。
考えるだけ無駄という気持ちがあるのかもしれない。

子なしを選択した私はというと、やはり2100年について真剣に考える気持ちは弱い。
甥っ子姪っ子がいるので少しだけ思うこともあるのだけど、本当に少しだけだ。
基本的にその時には自分はいないし、どうでもいいかなと考えてしまう自分がいる。

現在、『死んだあとはどうでもいい』世代が急増しているという。
明確な定義づけはされていないが、年齢でいうと未婚率の高まった30代未満で指しているのだろうか。
子どもを持たない人が増えているのだからこの変化は当然だといえる。

昔のように大家族で兄弟が多いというのならまた違うのかもしれないのけど、一人っ子で独身、親戚づきあいも希薄というケースなら『死んだあとはどうでもいい』気持ちが強まるに違いない。

『死んだあとはどうでもいい』世代が増えるとどうなるのだろうか?
ざっと思い浮かぶだけでも

・治安の悪化
・環境悪化
・政治への影響

などが考えられる。
『死んだらどうでもいい』が『他人なんてどうでもいい』へ気持ちが変化してしまうと、犯罪への心理的なハードルが下がり、
『どうせ捕まってもいい』や、『寂しい暮らしより刑務所の方が快適』という理由で犯罪も凶悪化してゆくことも考えられる。
(これはすでに問題になりつつある)

限りある資源を!、豊かな自然を!と言われても『自分が生きている間だけ快適ならそれでいい』というわけで、環境に配慮したり保護をする人も減っていくだろう。

100年先を考える政治家よりも1年先、2年先の利益をうたう政治家や政党に人気が集まると思う。
100年先なんて自分はいないわけなので、刹那的に良い思いをさせてくれるだけの政策がもてはやされることになりそうだ。

未婚率や子無し率がこれからも伸び続ければきっと『死んだあとはどうでもいい』世代が注目される未来がやってくるに違いない。