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まずは自分が丸裸にならなければ、人の心は動かない

人が音楽を聴く理由って、なんだろう。

自分自身のことを言えば、私はその「音楽」そのものに惹かれて聴いている。どういう人が演奏したり作曲したりしているのかはどうでも良い。ただただ、音だけを聴きたい。後になっていろんな情報を知るともっと好きになったりもするけれど、基本的に音そのものが自分に入ってくるかどうか。結局、惚れ込んだ音を出す演奏者の情報を知らないとしても、全ては音に現れると思うから。だから蘊蓄の長いコンサートは苦手だ。自分もできれば、何も語らずに演奏だけしたいと思ってきた。

昨日の浦和チルコロでのライブは、今年最後になるかもしれないという気持ちで臨んだ。後いくつか予定はあるが、状況によってはどうなるかわからない。そして、主催してくれた店主や来てくれたお客様たちは全員、私の音楽を聴きたいと集まってくれているのが痛いほど感じられた。この空気の中で、限られた時間の中で、自分に何ができるのか。

なぜ、バンドネオンを始めたのですか?

何百回と毎回演奏のたびに聞かれる嫌な質問だ。こんな難しくて厄介な楽器を仕事にするなんて、どうかしているのだ。今まで「音が好きだから」とか「これを聴いて始めたいと思った」などお茶を濁してきた。全部嘘だ。その理由は一言では語れない。

私の生きてきた道のりから話さない限りは。

昨日は全曲自作の曲を演奏した。曲作りも然り、作品を作るためには大きな「動機」が必要だ。コンセプトや締め切りが与えられる「仕事」とは逆に、誰にも頼まれていないのに果てしない時間と労力をかけて作る。中には10年越しで完成した曲もある。

その「動機」は話しにくいことが多い。そして強烈であればあるほど、動機として機能する。しかし、あまりにもプライベートな個人情報を人前で、数回しか会ったことがない、または初対面の人に、言えるのだろうか。

今まで無神経に質問され続けるそれらのことからどう逃げるか、それだけを考えてきた。けれど昨日は全く違ったのだ。ちゃんと曲と向き合い、それを伝えたいと思った場合、今まで避けてきたことをするすると話してしまった。そして演奏にも恐ろしく集中することができた。

想いが通じるならば、そんなことはどうでも良いことでしかないと感じられた。むしろ、何もかも告白してしまいたい。そういう雰囲気が、昨日の場にはあったのだ。

泣いている方もいた。マスクで半分以上顔が隠れていても、ちゃんとみんなの気持ちが私にも、通じた。

そして私がなぜ音楽を聴きたいかというと、良くも悪くも心を動かしたいからだ。

なんとなく流れているBGMでいい気分になりたいわけではない。その音楽を聴いて、自分の中の何かが変わる。そんな演奏をしたいし聴きたい。聴いている方は体力もいるだろうし、疲れるだろうとも思う。でも、それでも、そんな演奏がしたいと心から思う。

べらべらと曲を作った成り行きやエピソードを語る自分を、格好悪いなと思った。でも、終演後、みんなも色々と話してくれて、曲の感想もたくさん頂いた。ああ、届いたんだな。と感じた。

自分のように半ば変質的に音だけを求める少数派もいるとは思うけれど、その音楽のストーリーを偽らず自分の言葉で語ることは、それを共有するために必要なことなのだと今更気づいた訳だ。

まずは自ら丸裸になること。そのくらいリスクを負って切り込んでいかないと、人の心は動かない。しかし、演奏家としての喜びはそこにあるのだから、始末に追えないと思う。一方通行で何事も起こらず、可もなく不可もない仕事はもうしないと決めた。コロナ禍も、山あり谷ありの人生も、実は音楽家にとってはとんでもないギフトなのではないかとふと思い、また、新しい曲が作りたくなった。

関係ないけど写真はブエノスアイレスのラーメン屋さんにあったバガボンド。なぜこのページを撮影したのかは忘れたけれど、なんとなく今の気分です。





みなさんのサポートは、音楽活動を続けるため、生きていくために、大切に使っていきます。そして私も、誰かの小さな心の支えになれますように。