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本当の支援とは

継続的であること。

将来に結びつくこと。

拡がりがあること。

永山子ども基金から毎年、ペルーの働く子供達に送られる支援金は、食糧、そして教育資金として使われている。子どもたちの将来が、未来を創っていく。食糧を受け取った人たちは、もっと貧しい人たちと一緒に鍋料理などにしてシェアしているという。生きていける人が広がる。

最後に大谷恭子弁護士が「今年自分が元気がなかったのは、このコンサートができなかったからだと気づいた。支援しているつもりが、支援されていたことに気づいた。」と。

東京の下町、十条で、裏通りの子供の声も混じる中での配信ライブ。ペルーの働く子供たちの映像も流された。夢を語る子供達。貧しさだけでなく、コロナ禍でまたさらに、困難を極めている。そんな中でも、笑顔を絶やさない、これは民族的な豊かさなのかな、と思う。救われる。

ちなみに彼らへ配給される主な食料は、「米、パスタ、魚の缶詰」らしい。

ああ、私とおんなじだね。うちにも、かつて演奏に伺った各地の方々から救援物資が今も届き、なんとか生き延びている。主な食材は、「米、パスタ、魚の缶詰」笑。私も、同じように困っている音楽家と食料、シェアしてるしね!

終演後、軽く打ち上げ、その間もペルーからなかなか帰国できないという写真家の義井さんとずっと画面が繋がれており、真夜中のペルーでアルゼンチンワインを飲んでいらっしゃった。これはネット配信のなせる技だ。

写真は最後にぶっつけ!のセッション、ビクトル・ハラの「平和に生きる権利」。尊敬するフォルクロリスタの木下尊惇さん、アイヌの楽器ムックリで参加してくれた宇佐照代さん。幸せな時間。

今の状況下、上から目線で「かわいそう」とあからさまな同情を受けることもある。これはある意味、「ああ、自分はこんな目に合わなくてよかった」という優越感の押しつけ、もっと言ってしまえば支援のいう名の身勝手な「支配欲」にもつながっているように思うことがある。

どんな立場の人も、プライドを持って生きる権利があるのだ。

本当の支援とは、「生きる術を提案する」ことなのではないかと、この終わらないコロナ禍の中で、いつも考えている。

みなさんのサポートは、音楽活動を続けるため、生きていくために、大切に使っていきます。そして私も、誰かの小さな心の支えになれますように。