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A Blacknese Girl’s Story

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感謝の気持ち Appreciation

この話を選んで読んでくれた皆様、ありがとうございます。それから、私はたくさんのことを犠牲にしていつも私と弟といてくれた母に感謝の気持ちを伝えたいです。マミー、ありがとう。私は自分がブラックニーズであることを誇りに思って幸せと思ってます。それから日本で育ったこともラッキーだったなと思ってます。ありがとうマミー、家族、日本、アメリカ、みんなありがとう。これからは私と弟でマミーに恩返しする番です。それか

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あとがき Epilogue

日本人とは、、、
難しい。彼女もよくわからないという。しかし大切さなのはリスペクトと思いやりの気持ちだと思う。みんな違う見方、違う意見がある。でも、それやけんって、自分の考えを相手に強制したり、攻撃することは違うと思う。リスペクトを個々がしあうことがとても大事でそれが平和を生むと思う。彼女が大好きな安室ちゃんも”Respect is the Power of Love”(尊敬は愛の力だ)と歌ってい

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27歳 twenty seven-year-old

大半の人が25歳で人生を一区切りするように感じるが、彼女は27歳までと感じてるようだ。だからこの”A Blacknese Girl’s Story”ガール=女の子の気持ちをつづったこの話は、27歳までのことを書くことにした。27歳、まだ何を学校で勉強したいかちゃんと決めきれてなかったが、学校は通い続けてた。27歳もばりばり人生に焦ってた。日本人コミュニティーにどっぷりつかってきて英語もとぼとぼしい

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26歳 twenty six-year-old

6月、友達が日本に帰る前に最後ラスベガスに遊びに行った。ラスベガス最終日、プールパーティにも、行った。楽しい時間はあっという間に過ぎ、友達も日本に帰って、またナナの仕事と学校の毎日が始まった。新しい部屋はすごい便利だった、アフタースクールにもレストランにもすごく近かっし、すごい快適だった。しかし、楽しい時間から現実に戻された彼女。彼女は26歳の時に日記にこう書いてた。
”26歳、学生、パートタイム

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25歳#3 twenty five-year-old

日本の友達はコチェラフェスティバルに行きたかったのと、ずっとアメリカにきたかったから仕事をやめてドーンと2ヶ月近くきてくれた。
友達が来てる間に事情があって引っ越した。
決めてからの行動はすごい早かった!次の日、彼女は早速ビビナビで見つけた部屋を見に行った。そして住んでいいですよと言ってもらえた。このときはパパにデポジットをもらった。パパはいつもはお金は働いて貯めろというタイプだったが、この時はす

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25歳#2 twenty five-year-old

彼女はもうちょっとちゃんと仕事をしたいと思い色々面接に行った、空港の面接に行ったりもして制服をもらうとこまで行ったこともあったが、、やはり、チップがあるレストランをやめられないなかったし、学校をちゃんと終わらせたいという気持ちがかった。もともと子供が好きだった彼女は、前から気になってた日系の幼稚園の仕事の面接に行った。受かった♪幼稚園からお給料はもらっていたが、そこの幼稚園がやってるアフタースクー

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25歳 twenty five-year-old

“25はいい歳ね”とパパの知り合いのおばちゃんに電話越しでお祝いされて、ワクワクな気分でスタートした25歳。彼女は、ロサンゼルスでの生活があんてしてきてからはちょくちょくベイエリアのお父さんの家に帰ってきてた。

24歳

日本で看護婦をしてた親友とハワイを満喫した。
正直彼女はこの旅で、焦りと変化を感じようだ。親友とは小1から同じ団地で育った。正直、小学校から高校卒業するぐらいまではどちらかというと彼女の方が一歩先を行ってた気分だった。しかし、彼女はハワイで車をレンタルする予定がクレジットカードがダメということでできなかったり、24歳になってまだ学生だったり、レストランで掛け持ちで働いてたりしる状況だった。一方親友

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24歳#3 twenty four-year-old

学校で授業をうけてたら、彼から電話があった。アパートを見学行くけん今すぐこいとのこと。いや、ハワイに行くけんお金セーブしたくて、今はまだ引っ越したくないっちゃけど、、、、そんな彼女のうったえは無視で引っ越す方が大事だろうと言ってきた。いやいや見に行ったアパートメント、ロケーションもいいし、広くて家賃は$1090だった。二人で分ければ1人$500ちょい悪くなかった。まだ引っ越したくはなかったが、ハワ

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24歳#2 twenty four-year-old

やはり、キッチンで働くのとウエイトレスで働くのは全然給料が違った。チップのおかげで、だんだん貯金もできるようになった。学校にも行きだした。日本の親友と12月にハワイに行く約束もした。彼女変わらず安いという理由で、ゲトーのリノベートした倉庫に住んでた。12月、ハワイに行く為に髪の毛をブレイズしてもらいにアフリカ人の女の人がやってるヘアーサロンへ行った。彼女の髪の毛をしてくれてた女の人にワッツに住んで

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24歳 twenty four-year-old

24歳の誕生日は人生で1番嫌だった。お金がなさすぎて、もでも、やっぱり少しは誕生日したくて、彼女は自分で自分にケーキとろうそくを買ってお祝いした。惨めだったなー。仕事もお金が無さすぎて、2回ぐらい給料日の前にもらったこともあって、レストランのオーナーや一緒に働いてた日本人のおばちゃんたちからも心配されてた彼女。そんなとき、レストランのオーナーがずっと倉庫にとまっとる車があるけん売ってあげるよと言っ

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23歳#8 twenty three-year-old

毎日同じこと毎日同じ。彼女はこの頃からだんだんベイエリアにいるのがつまらなく感じてきてた。
学校、仕事、家、趣味(ダンス)もあってどっかに行きたい欲が強くなったきた。2015年はそんな感じで終わった。年があけて、ロサンゼルスに一人で遊びに行った。ロサンゼルス2、3回行ったことがあって、ベニスビーチに初めて行った時に、LAが私を呼びよると彼女は感じた。根拠のない、わけのわからんことをまた彼女はときど

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23歳#7 twenty three-year-old

アメリカに帰ってきて、また働きまくりの生活がはじまった。その時は働きまくるのが正しいというかそれ以外を考える余裕がなかったが、現在29歳になった彼女はようやく仕事とオフのバランスができてきてきた。しかし、23歳のときらレストランがオフの日は、ベビーシッターで、お昼も別のレストランで働いた。せっかくアメリカにおるのに、人生仕事ばっかしてた。日本で育ってしかも、マミーにもパパにもお金の面でサポートして

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23歳#6 twenty three-year-old

ナナと末っ子は福岡へ戻ってきた、日本の旅もそろそろ終わりが近づいてきた。楽しい日本の旅は終わり別々でアメリカに帰った。末っ子はやっぱり東京のお姉ちゃんと関西のどこかにいるお姉ちゃんに会えなかったのがガッカリだったい。まあーしょうがないやん。アメリカへ帰ってきて、またバイトと学校時々ダンスのクラスをとり、週一ぐらいパパんち遊びいくっていく彼女の生活が始まった。この時からレストランの仕事とプラスベイビ

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