転職しました その1
ここ数ヶ月会った人には、一通り話していますが、来週から新しい会社で働きます。
今後新しい会社で働いていく上で、自分の経験や気持ちを整理、記録するため下記起こしてました。
前職の会社に入社した自分からすると、「よくそんな転職する様な度胸がついたね!」と思います。
前職では一度だけ「もう無理……、会社辞めたい!」と強く思ったことはあるけど、
「目の前の仕事が満足にも出来ないのに、外の企業さんから採用してもらえるハズがない……!」と結局、何も行動してませんでした。
転職のキッカケは、去年前職時に台湾で働いた経験によるもの。
「このままの状態で同じ様に働いていくとまずいなあ……」
「もっと仕事が出来るようにならないと、この先、将来も仕事出来ないいままだわ……」
と危機感に強く苛まれました。
前職の会社としたら「一年間台湾で働く機会を与えたのに、帰国半年で会社を退職するとは、投資をした意味が全く無い……」と思うでしょうね、きっと。
3LDKのマンションに住まわせてもらって、会社への通勤は運転手付きの公用車を使わせてもらって、日本の2/3程の物価で生活させてもらってました。
(詳しくは別の記事で書いたので、興味のある人は読んで下さい)
いや、本当に台湾にいる間は一人で人生の夏休みを過ごしてる感じ……。
遡ること2018年6月に、台湾の台南にあるグループ会社に一年間駐在していました。
成田空港から台湾の高雄国際空港向けのフライトに乗ってら台湾の台南駅に到着するまで、緊張と期待と不安が入り混じり、ずっと気分が高揚してました。
「台湾で仕事出来るとか、最高やん……」
また大学生の頃に3ヵ月留学(遊び)経験があったので、台湾に到着した瞬間は懐かしい感情が込み上げてました。
「まさか、社会人になっても仕事で台湾に来れると思わなんだ」
■全く予定していなかった仕事との直面
そして、ついに台湾の台南にあるグループ会社で働き始めました。台南の会社(工場)では、半導体の回路を表面を研磨する研磨液(材)を製造をしています。
働き始めて2,3日経過した頃、配属された台湾人上司から次の様に仕事について説明されました。
「申し訳ありません。私は忙しいので竹内さんに仕事を教えたり、仕事を与える暇がありません。まずは1〜2ヶ月◯◯さん(上司の部下)について仕事を覚えてください。」
「仕事を覚えた後は、竹内さんのこれまでの経験を活かして、私の会社に何か貢献するような業務提案をして欲しいです!」
「あ、はい。分かりました(うーん、なんか聴いてたんとの違うなあ……。)」
正直、肩透かしを食らった感じでした。
「うーん、この先大丈夫かな…」
赴任前に確認していた台湾での仕事は、
・製品の生産計画
・製品の出荷
・生産管理システムの運用
・海外顧客向けの新規品の量産立ち上げ
といった業務を予定している」と、
が、日数が経っていく内に仕事に対してモヤモヤが募り始めてきた。
例えば、新規品の量産立ち上げ。同じ部署の台湾人の社員、上司、他部署の日本人の駐在員、台湾人が個室に集まり会議を開く。顧客監査に向けて、製造工程・在庫管理・出荷といった業務の見直しや品質管理を見直していく。
「あれ?このプロジェクト全部、中国語で資料作成するってことは、俺出来ること何もないじゃん……!笑」
蓋を開けてみれば、中国語が出来ないと何も業務が進行しない。
出来ることと言えば、台湾人同僚が何をやっているか理解することだけ。資料やメールの文面に記載されている中国語を推測して、隣の台湾人に業務内容を教えてもらう。
三ヶ月台湾に留学して(遊んで)いた付け焼き刃の中国語では、実際の業務に全く役に立たない。
出来ること言えば、肉体労働のみ。
「赴任した直後だし、現場作業から体験することも大事だし。まあ、これからでしょ」
赴任1〜2ヵ月は、ずっと自分に言い聞かせてました。
■台湾人上司との答えの見えない議論
やっとこさ、日本の元上司や台湾の日本人社長のコーチングの助けにより、半年経った頃になんとか一つアイデアを思いつきました。
「原料在庫の適切な管理方法」のアイデアを思いつきました。(多過ぎず少な過ぎず、原料を調達し、原料在庫を管理するアイデアです)
そのアイデアを引っ提げ、課長(台湾人)に
「今日、5分程時間あります?業務改善のテーマを思いつきました」と、声をかけました。
課長「今、忙しいから来週時間とって話しましょう」
自分「(いや、5分も来週まで時間無いんか……)」
自分「はい……」
一週間後〜
課長:「竹内さん、この点はどうなっているんですか?〇〇の観点が抜けてます」
「無理して〇〇の業務内容については手をつけなくて大丈夫です……!」
「竹内さんには、XXの部分の業務改善をお願いしたいのですが……」
私が説明を開始して2〜3分で、課長から機関銃の様に意見•指摘を受けて続けて、気づいたら1時間が経過していました。
次の日
自分「今日、5分程時間あります?前回、指摘された点直しました」
課長「今、忙しいから来週時間とって話しましょう」
「(いや、本当に5分も来週まで時間無いんか……)」
「はい……」
一週間後〜
課長:「竹内さん、この点はどうなっているんですか?〇〇の観点が〜(以下、同じやりとりがずっと続きます)」
3〜4ヵ月の間、会議室で課長と議論しては、自分の意見に反対され、議論しては反対され、の繰り返していました。
「自分、来月に日本に帰任出来ないですか……?笑」
赴任してから2ヶ月経った時に、お世話になっている総務部の先輩に半分冗談、半分真面目に愚痴を聴いてもらってました。
「いや〜、竹内さん、そこは頑張りましょー」
知ってた。
■社内での不適切検査の発覚
18年6月末と言えば、当時ウチの会社が生産している製品に関する不適切検査が続々と発覚していた時期。取締役社長が記者会見を開き、新聞の一面記事に掲載される程でした。
不適切検査が発覚して以降、半年〜一年以上の期間、日本にいる上司、先輩、同期は皆、寝る間を惜しんで、顧客からの問い合わせ対応に土日も関係なく働いていました。
駐在していた台湾の工場も同じ。毎日、駐在していた日本人の方々は、深夜12時を過ぎても、顧客への説明資料を準備。土日も関係なく朝から会社に出社する毎日。
一方の自分、
いつもと変わらず、定時退勤……。
「えっ、こんなんで良いの!?」
ある時は、工場の製造現場や倉庫の中をふらふらと、20分、30分取り留めなく歩き回ってました。
ある時は、会社で朝から夕方まで1日中ひたすら読書(業務に関する参考書)してました。
「(いや、誰も声をかけないんかい……!)」
次の日
「(いや、もうそろそろ誰か声かけてくれないと逆に不安になってくるから…!)」
さらに次の日
「(あれ?俺、会社で一日中読書しかしてないけどこれで良いんだっけ…?)」
続く
(長くなるので、ここで中断します。)
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