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それは事実なのか?捏造する脳 認知的脱フュージョン

幸せになれる脳を育てる
カウンセラー/コーチ 宮田です。

「言い訳はダメ」「カッコ悪い」「カッコ悪いはダメ」「カッコ悪いことはしない」「弱みを見せられない」「頼れない」
これが自分の中にはあるんだ、という気づき

記憶はあてにならない

自分の記憶なんてものはあてにならない。そう思う出来事が頻発しています。

凝り固まって偏った思考を柔らかく、もう少し上から広い視野でみる。そんなことを認知的脱フュージョンセッションで意識して取り組んでいますが、自分のこととなると…。

「自分がこんな人間だったなんて…」とガッカリしたり。「そんなことなしてない」「そんな風には思ってない」と頑張ってしまう自分もいて、感情がザワザワして落ち着かない。
観念してい取り組んでいるつもりになっていても抵抗しまくりの自分を見つけてしまうのです。

一呼吸置いて他人事のように考えると「そうだよね」と理性が働くので、最初の言葉や違和感やザワつきが大事。理性が働くともっともらしいことをペラペラと話しだしてしまうから、事実かどうか当てにならない。脳が無意識に捏造するのだから。

自動的に自分を守る言い訳が口から出てくるのは、今までそうやって守ってきたんだということ。
でも成長過程で「言い訳なんてカッコ悪いことだ」としているので、そんな自分を振り返ると、恥ずかしさでいっぱいになり、胸がぎゅっとして、心臓がドキドキして体温が少し上がるのを感じる。

カッコ悪い自分をどうにかしたくてさらにもっともらし言い訳を重ねたり、不快な感情を感じたくなくて、記憶から消し去ったりする技を身につけんだと気づく。

では、不快なな感情はダメなのかというと…これも必要だから備わっているわけで、良いとか悪いとか、ダメとかではないんですよね。
不快な感情があるから得られるもの、得たもの得た能力って何なんだろうね。

言葉の定義はどうなってる

セッションで話す内容から他人と自分がイメージしていることが違うということに気づいて驚くことがよく起こる。

言葉の持つ意味が全く違っていたりもする。

これは普通とか常識だと思っていることも、全く違うことをイメージして話していたりすることが多々あるので、あれ?なんだかズレてる気がする時はもちろん、これで合ってる?って自分の考えが間違ってないか確認するのも大事になってきます。

なのに、事実確認をしない、できる時とできない時がある。

そこをもう少し細かく見てみる。
「それってどういうことだったの?」「そういうことされると腹が立つ」「傷つく」など、確かめることも、感情をストレートに伝えることもできるのは、何があっても大丈夫だと思っている関係の場合。

信じてないわけじゃないけど、何があってもまではではない場合は、もしかしたらこんなことを聞かない方が、言わない方がいいのではとなってる。

じゃぁ、その先どうなるんだろう。
それをやった先にどうなると想像しているんだろうか?
「こんな自分じゃ嫌われるかも」「離れていく、見捨てられる」そんなものも引っ付いているのかも。
じゃぁ、そうなったら何が困る?

そんな風に深掘りしていくと、隠してきた、隠そうと頑張ってる、嫌な自分、できない自分、カッコ悪い自分に遭遇してどんよりしてくるのだけど、大切なのはその先の本音のありたい自分。

どんな自分でも受け入れられるように、捏造された記憶や絡みついた関係フレームやらを解いて、チョキチョキ切っていく。

そして、どうせ捏造するならもうちょっと違うのを捏造しませんか笑


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