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それでも母に喜んでもらいたくて

自分史というと、時系列に書いていくのが本当はわかりやすくていいのでしょうが、もう昔の記憶ばかりですので、頭に思い浮かんだ出来事をその時その時書いていこうと思います。
よろしければお付き合いくださいね。


中学生になっても、やはり家は貧しくて
家の百姓仕事を手伝うために部活などには入れませんでした。
とにかく子供は労働力でもあったのでしょう。


そんな夏のある日
父が前の晩から帰宅しておりませんでした。

当然母はイライラしておりました。
母がイライラするのが子供には何より辛いことでした。

特に稲刈りの時期は台風の時期とも重なっていたりして、天候との勝負でもありました。
台風で稲が倒れてしまうと、稲刈りがとても大変なのです。

そんな母のイライラの矛作は子供に向かいます。
当然、長女の私が一番に被害を受けます。

「キミコ!稲刈り早うせんと、雨が降り出すさかい、お父ちゃん連れに行って来い!」と母に言われました。

「どこにお父ちゃんいてるの?」
と聞き返すと
「山崎屋の旅館じゃろ!」
と、母は言いました。

言われるままに自転車で走って
駅の近くにある「山崎屋」に行って
玄関を入ると、旅館のおばさんが出てきました。

おばさんはビックリしたような顔で私をみて
旅館の2階に向かって
「トヨジさ〜ん!娘さんきたあるで〜!」と叫びました。

私もついでに
「おとうちゃ〜ん、お母ちゃんが、雨降ってくるさか、早よ稲刈りせなならんさかい、帰ってってよ〜」と叫びました。

すると、すごい形相の父が丹前姿で旅館に2階から降りてきて
「すぐ帰るって言うとけ!お前もすぐ帰れ!」と、大声のような小声のような不思議な声で怒鳴られました。

父に訳もわからず怒鳴られるのには慣れていましたから
まあ、いつものことでしたので、悲しくなるわけでもなく
私もまた帰宅しました。

帰宅して
「お母ちゃん、旅館に行ってお父ちゃんに言うてきたで。すぐ帰るって言うとけって」
と、母に報告しましたが、なんの返事もなくうなづくでもなく、聞こえなかったように無言で稲を刈り続けていました。


私も稲刈りを手伝って、夕方帰宅すると
父は布団に寝ており
「痔が悪い」と言って寝ておりました。

そしてまたいつものような、不穏な日常の空気が静かに流れ始めました。


まだその頃の私はウブでしたので
状況もわからず、旅館で
「おとうちゃ〜ん」なんて叫んでしまいましたが

後から思えば
若い父の秘密の事だったのでしょう・・・。


ずっと後々に母に
「おとうちゃん、あそこで相当遊んでたんやなあ」と言うと
母は
「遊んだなんてもんやないわ」と笑いながら呆れ切ったように言いました。

そんなこんなでも、どうにか夫婦として70年近く連れ添ったのですから
夫婦っていうのは、不思議なものです。


それにしても、夫のそんな現場に娘を遣わせるなんて!
母は相当な鬼母であったと私は思います。

でも、母も
顔も知らない夫に若くして嫁いで
抱えきれない消化しきれない悔しさや苦労があったのでしょう。

まあ、それにしても!!!
とは思いますがね・・・。

でも、どんな鬼母であっても
母に「喜んでもらいたい」「笑ってもらいたい」
ただそれだけを願っているような子供時代でした。


  キミちゃんより


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