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おそらく一番古い父の記憶

今日は終戦記念日ですね。

私は昭和14年生まれですので
戦争の記憶は、子供の頃の記憶になります。

なので、はっきりと記憶されてるわけでもないかもしれないのですが

子供ながらに一番最初の戦争の記憶は
父の出征を見送った時のことでしょう。

昭和19年のことです。

母は次男を妊娠中で
父が出征する日に家の裏庭でお腹を抱えながら
「お腹が痛い」と言ってうずくまっていました。

そして私は、
父の兄嫁であるおばさんにおんぶされて、
汽車に乗っていく父を見送りに駅まで行きました。

駅にはたくさんの人がいて
日の丸の旗を振って「バンザーイ、バンザーイ!」と大きな声で何度も言っていました。
その声が大きくて
とても怖かったのを覚えています。

そして父が敬礼して
「行ってきます!」と言った時に
おんぶしてくれていたおばさんが
父の頬に私の顔を擦り付けて
泣きながら
「豊治さん!生きて帰ってこなあかんねんで!
こんな子がいてるんやさかい!」と言いました。

すると父が頷きながら
さっと顔をそらして
涙をこぼしたのを見ました。

まだ私は幼かったので
なぜ父が泣いたのか全くわからず
「お父ちゃんも泣くんや」
と不思議に思いましたし、それより
父の頬に顔を擦り付けられて
父の頬の髭がジャリジャリと痛かったことが
何より強く記憶に残っていたりします。

父がどこに行ったのか?どうして泣いたのか?
幼かった私には何もわかっていませんでした。

きっと4人の兄弟姉妹の中で
父の涙を見たのは私だけではないかなあと
思います。
ひょっとしたら
母ですら見たことがなかったのではないでしょうか?

父はいつも不機嫌で、
すぐに怒るような人でしたし
ニコニコ笑っているのなんて
ほとんど見たことがありませんでした。

昔の父親は
みんなそんな風だったのでしょうかねえ?


今思うと、父はいつもどんな気持ちで
家族と過ごしていたのでしょうか?

ひょっとしたらもっと楽しくお話したり
笑ったりしたかったのかもしれないですね。

男の人って
不器用で、気の毒です。

でも、やはり私は父のことが
大好きだったのだと思います。

私は本当に良い娘です。
親孝行な娘でしたよ、本当に・・・!
お父ちゃん!聞こえてますか?

でも、もうジャリジャリの髭にスリスリするのはごめんですね。

またいつか会いましょうね。


キミちゃんより

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