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難産の末

お産のことを少し書かせていただきます。

私は本当に難産でした。
看護婦で働いていた頃に何人もお産を介助して来ましたし
お産というものも頭では十分理解していました。

私は微弱陣痛で、もうそこまで赤ちゃんが降りて来ているのに
陣痛が弱くなかなか生まれて来ず
丸一昼夜、病院の分娩台の上で過ごしました。

そのころは暖房設備も整っていなかったのか
10月の寒く固く冷たい分娩台の上でぐったりしながら
「看護婦さん、こんなにしんどいんだったら2度と子どもはいらないです」
と言うと
なかなかお産が進まずイライラしていた看護婦さんは
「そんなことご主人に言いなさい!」
と一蹴され、文字通り分娩室のドアを蹴っ飛ばして出ていってしまいました。
私は情けないやら悔しいやらで本当に泣き出しそうになっていました。

そして10月20日の明け方
分娩室に朝日が昇り
ちょうど私の横たわっている分娩台を照らして来ました。
私はぐったりしながらもあられもない姿で朝日に照らされて
とても恥ずかしかったのを覚えています。

しばらくして
当直の婦長さんがやってきて
「何してるの!?まだ生まれてないの!?こんなことしてたら赤ちゃんが死んじゃうわよ!」
と看護婦さんを叱り飛ばして、お産を進行させてくれました。

そして8時ごろやっと長女がこの世に誕生しました。

「おめでとう、美智子妃殿下と同じお誕生日ですよ。
ちょっと頭が長いけどね、大丈夫。いい子いい子ってさすってあげなさい」
と言って赤ちゃんを私の胸に抱かせてくれました。

こうしては私は母親になりました。

それにしてもです!
あの分娩室のドアを蹴っ飛ばして出ていった看護婦さんには参りました。
でも思い返すと、私も若い看護婦時代に自分が子供を産んだこともないくせに
「まだまだこんな痛みじゃ赤ちゃんは出て来ませんよ!」
なんて偉そうに産婦さんに声をかけていましたっけ・・・
本当にそのことを強く強く反省させられた自分のお産でもありました。


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