私の道が再び始まる
長女は小学校、次女は保育園にあがり
生活もなんとなく落ち着いてきたような気持ちになりました。
そんなある日のこと
看護学校時代の友人から
愛知県で第一回目の「潜在看護力活用講習会」
というものが実施されると連絡が入りました。
「看護」という言葉を耳にして私の気持ちがザワザワと動き出して
落ち着かないような気持ちになりましたが
今の私には小学生の長女と保育園に入ったばかりの次女がいて
子供を置いて働く、学ぶという選択は
絶対出来ないのだと自分に言い聞かせていました。
そんな話を近所で一番よく声をかけてくれていた
森崎さんというとても親切な少し年上のおばちゃんに
世間話の合間に何気なく話したところ
「そんな資格があるんだったら行ってきなさいよ。子供は私が見ててあげるから」
と言って下さいました。
私も本当に図々しくその言葉に甘えさせてもらってしまいました。
そして昭和49年11月18日から
朝5時に起床して子供達の支度をして
森崎さんに子供をお願いして
朝6時の名鉄電車に飛び乗り
愛知県がんセンターと八事の日赤病院に通いました。
この研修の期間、体力的にも時間的にも
とても大変ではあったはずなのですが
その時の私は水に放されて
生き生きと泳ぎ回る魚になったような気持ちだったことが
今でも忘れられません。
そして無事講習を受け終わることができたのです。
もしもあの時、森崎さんが
「行ってきなさい」と言ってくれなかったら
私の道は全く違うものになっていたかもしれないです。
私たち家族にとって
森崎さん御一家は本当に大恩人なのです。
もうおじちゃんもおばちゃんも亡くなってしまったけど
本当に心から感謝しています。
ありがとうございました。