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そういえば繋がっている

夫と入籍して初めて生活した場所は、細江町の学生服のコトウと、
まちライブラリー月いちしものせきの間の細い道に入った所。
まちライブラリー🌙月いち下関(@tsuki_1ichi) • Instagram写真と動画
他界した祖父の記憶によると、そこは高級飲み屋さんのあった場所とか。
住んでいた1階の庭の土を耕すと、奇麗な器の破片が良く出てきて、
確かにそうかもしれないと思いつつ、
今は古地図を辿ることはしていません。(いつかやりたい)
月いちさんで教わってたどり着いた梓書店で再会したのはみすゞさん。
梓書店 下関市唐戸地域にある小さな本屋(@azusashoten_karato) • Instagram写真と動画
入江の喜楽湯にみすゞさんも来ていたんだって、
という店主の言葉。
当時の喜楽湯の前には映画館。
きっと、映画も見ていたんだろうな、と妄想。
みすゞが久しぶりにやってきました。|kimi (note.com)
ふらっと言葉にしたのを見て下さった谷さんの喜楽湯のnote。
金子みすゞ写真館◆下関の喜楽湯◆|『アローン・シアター』主宰 女優 谷 英美(たに えみ) (note.com)
夫にインスタの喜楽湯の写真を見せた所、
わが家と繋がったね、とポツリ。

                  !

半世紀↑、明池→丸山→細江→入江と、狭い範囲で転居しつつ生きてきた私。
今年の晩秋に最後の住処と決めた場所は長府黒門南の中古住宅。
そこの前の持ち主さんの御爺様は明治の終わり頃、
国鉄の車両部品の修理の会社を創業。
当時は入江町の前の国道9号線辺りを埋め立てており、
現在の警察署周辺に合った下関駅から伸びる線路の先の、
昭和50年頃までは横浜の赤煉瓦倉庫みたいなのが建っていた、
今でいう岬之町・観音崎町あたりが仕事場の労働者の皆さん向けに、
喜楽湯の前身の施設を建てたという話。
…聞いたよ、確かに。
6月に転居先の引渡の際に、先方から聞いたんだよ!
御爺様の会社はJR西日本の子会社と合併し、
前の持ち主さんは既に下関とは縁が無くなっていたけれども、
雑談の中で最後にあの銭湯を見て帰ります、と言っておられたぞ!

6月の時点では喜楽湯、近くにある、入った事ある銭湯でした。
梓書店さんとのご縁で、みすゞも入った事のある銭湯だと知りました。
そして、今の喜楽湯の中の様子。

みすゞさんが来られていた時は、ちょいと先に下関駅があり、
海側を見ると線路が見えたはず。
海も近かった。
みすゞさんの御住いの近くの銭湯を利用していたのは漁業関係者が多かったことでしょう。
当時の喜楽湯は?
鉄道関係の労働者もだけれども、駅利用者、旅人も多くなかったのかな?

ますます妄想の翼が広がってきました。

私は今はただ書く事が好きな、
軽度の鬱と診断された主婦兼夫の介助士?です。
笑っちゃう無職です。
せっかく仕事を探すのは一旦止めて、
介助と家事ができるなら、あとは好きなことしてのんびりする事、
と言われているんだし~と、
#記憶を記録する なんて言っちゃってふらふら書いてみるだけだけど。
ちょっと、#繋がってる 事にぞわぞわしています。

もう少し時系列まとめて書くべきだとは分かっている。
でも、書かずにはいられない。
#忘備録 として、置いときます。
今日も午前5時起きだしね!

古地図、調べたいなぁ…
心身の調子、上げたいなぁ…


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