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私のピアノ。

いつもありがとうございます。

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うちは、代々クリスチャンの家系で
ひいおじいちゃんか、ひいおじいちゃんの兄弟が、
むかし、むかし、済州島の教会の伝道師だったそうです。

この写真のピアノを見ると思い出すあの日のこと。

私は幼稚園から高校までピアノを習っていました。
(才能もセンスもなかったですが、、、、)

中学生のときのこと。
ある日帰ると、ピアノがない!!!!
この写真に写っているピアノが跡形もなく消えている。。。。

な な なんでだ!?
と、オモニのいるお店に電話して
「オモニ!!ピアノがない!!!」と大騒ぎの私。

「ピアノ、あげたよ」
(ご飯できたよ〜!くらいの軽やかな感じで。笑)

(え?あげた????)

ピアノをとある教会に寄付したとのことでした。
とても運営が厳しく、子どもたちのためにピアノが買えない、と。

大人同士の会話だろうから、もっと深い話だったと思うのですが

オモニはいつもそうだった。

誰かが困っていれば、すぐあげちゃう。

(ピアノのことは、もしかしたら私に話していたかもしれないし
 何もなかったかもしれないし、覚えていないけれど、どちらでもよくて)


昔は、お店や工場で留学生のアルバイトもたくさん働いていて
もちろん生活費のためですから、贅沢も服などお洒落なんてみんなできない。
苦学生が多かったんですよ。あの頃は。

ふと、見ると
あれ?私とお揃い?と思う時があるんですよね。
(もう、あるあるだったので、何も言わなくなりましたけど)

あの時は、それが理解できなかったけど
(反抗期という時期もあったからね)

オモニが苦しく、大変な幼少期だったことや
韓国で、日本で、本当に苦労したからこそ、なんだと今は思えるし理解できます。

育て方は、色々言われたこともあったけど(厳しかったんでね)

でも、私はそんなオモニの娘に生まれてよかった。
そう強く思うし、オモニを誇りに思います。


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私には2つの名前があります。
韓国の名前、恵蘭(ヘラン)と、もうひとつ
日本の名前があり、恵(めぐみ)です。

どちらも、オモニがつけてくれた大好きな名前です。

「恵まれるよりも、恵を与えられるような人に
 凛した蘭の花のように、まっすぐなひとに」

そんなオモニの想いと願いが込められた名前。
完全に名前負けしてますが・・・・・・冷汗
名前の由来を聞かれると、自分がまだ未熟なので恥ずかしいですが

オモニが愛情を注いで付けてくれた、恵蘭と恵という名前を誇りに思います。

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note、せっかく書き始めたのに随分と長く空いてしまったなぁ(汗)
なんとか年内には、会社を継ぐ日の、あの日のところまで辿り着けるよう
頑張って書いていこうっと!