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今日、バイト先が閉店する。

今日、私のバイト先が閉店します。
カフェでした。守秘義務のため、少し時間が経ってから投稿しようと思います。でも、今日の気持ちを新鮮なうちに書いておきたくて。

ビジネス街の朝は、努力にあふれている。


私の勤務店舗は、金融街のど真ん中とも言える場所に位置していました。
私は、モーニング担当でした。
まだ静かなビル群の隙間を朝日を浴びながら歩いて出勤し、
業績と日々戦うお客さんに一杯のコーヒーを提供していました。

働き始めたころは、カフェでのバイトは初めて、レジも初めて、自分の作ったものを人に飲んでもらうのも初めて。ザ・使えない店員でした。

それでも、働き続けたのは、朝の時間を有効に過ごすお客さんを尊敬していたからです。

特にコロナ前は、レジの前に長い行列のできるほどモーニングメニューが人気の店でした。立地にしては広い店内もあっという間に埋まり、香ばしいコーヒーの匂いが店一杯に。

土地柄、忙しい人も多く、早く提供できなくて、お客さんをイライラさせてしまうことも珍しくありませんでした。今思い返しても、恥ずかしく、マルチタスクが苦手なのにカフェ店員になったのを本当に反省しています。それでも、どうしたら早くできるだろうか、考えているうちに常連さんの顔とメニューは一致し、交通系の端末はノールックで打てるようになりました。

そうして少しレジやドリンク作りに慣れてくると、お客さんの様子を観察する余裕ができてきました。
いつも呪文のように流暢に注文するあのお客さんは、毎日来店して、注文してすぐ資格勉強を始める。
私が「マダム」と勝手に呼んでいたアイスコーヒーを注文される女性客は、いつも素敵なジュエリーと緑のアイシャドウをしている。
朝一番に朝食を頼む男性にはいつもお冷も一緒に渡す。お皿とコップと一緒にたくさんの錠剤の殻が返却口に置かれてる。
いつも2人で来店して、二人で同じものを頼んで、いつも同じ席に向き合って座るお客さんはきっと夫婦で、何を話しているかはわからないけど、きっと心が通じ合ってる。

私が朝にバイトをし始めた理由は、午後に取りたい授業が集中しているからというだけでした。でも、うちのお客さんたちが、雨の日も凍えるような寒さの日も、ここに来るのはそんな理由じゃない。
一日の始まりを気持ちよく過ごすため。
勤務時間中に、自分の力を最大限に発揮するため。
将来のために、継続的に勉強するため。
朝刊を朝食を見ながらチェックするため。

ここに来るお客さんには、向上心と、時間的・精神的余裕がありました。
バイトがない日は昼過ぎまでだらだら寝ている私とは大違いだし、自転車を全力で漕いで、時間ギリギリの電車に乗る私にとって、朝からカフェに来るお客さんは尊敬の対象でした。

コロナと人員不足が居心地のいい場所を奪っていく


そして、コロナ禍が襲ってきました。
大学はオンラインになり、しばらくカフェは休業に。
再開した頃には、在宅勤務が普及し、モーニングの売上はコロナ以前の半分以下の日が多くなりました。

人件費削減のために、開店作業とモーニングの時間帯のレジ・ドリンク作成を一人で請け負い、もう一人はランチの仕込みというシフトになりました。
元々ポンコツカフェ店員の私が、レジ・ドリンクの兼務となると、頭がパンパンで。正直、自分のせいで離れてしまったお客さんもいたと思います。
クビにしなかった店長さんに感謝です。そして、手際の悪い私を温かく見守り変わらず通ってくださったお客さんにも感謝です。

朝限定価格で220円で飲めたホットコーヒーが値上がりすると、隣のセブンイレブンにお客さんが流れていくようになりました。
持ち帰りのお弁当の販売や、メニューの簡易化もしましたが、お客さんが以前のように戻りませんでした。
隣には大型オフィスビルが建ち、商機が来たかと思えば、インスタグラムで話題になるほどのおしゃれなカフェができました。

カフェ店員としての私の感情も変わっていきました。
大学に行けない日々、家族以外と話さない日々が続きました。
「こんな大学生活のはずじゃなかった」という思いはどうしても捨てられず、対面で授業が受けられて、学校に通える中学生、高校生をいつも羨ましく思っていました。

そんな状態の中で、笑顔で歓談する会社員のお客さんに接客するのは、あまり心地いいものではありませんでした。
カフェで対面で接客して、楽しそうに同僚と話すお客さんにドリンクを提供して、帰ったら、一人で真顔でオンライン授業を受ける。
そんな生活のギャップに心がもやもやして、切なさに近い感覚がこみ上げる日々でした。

常連さんも減ってしまったけれど、新しくお店を見つけてくださるお客さんもいました。
フランチャイズ店だったので、本社の意向で、感染対策が厳しく決められていました。お砂糖とミルクは必要な分だけ、レジから手渡しし、多くの人が直接触る場所を減らすことになりました。
新しく通ってくださるお客さんの分も含めて、お客さんの顔、オーダー、必要なミルクとお砂糖の量を記憶するようになりました。
不器用ですが、できるかぎりの貢献がしたくて。

お店が閉店することになった。


お店が閉店することを告げられたのは実際の閉店の2か月ほど前。
ロケ地に貸し出ししたり、お弁当の種類を変えたりと、工夫もしていましたが、他の新店舗に比重を置くそうで。
その場所からは撤退といった形になりました。

店長さんは最後の2か月は新店舗と兼務になっていましたが、毎日睡眠時間を削って、最後まで心地よいこの場所をよりよくしようとしてくださいました。とってもやさしく素敵な店長でした。

閉店を知ったとき、真っ先に自分が潰したんだと思いました。
他のバイトのお姉さま方(年の離れたの方が多かったので尊敬を込めて勝手にそう呼んでました)は、優秀で、レジもドリンクもランチのキッチンも、発注や在庫管理までしていたので。
あきらかに私だけが足を引っ張っていました。
お客さんから怒られるのも私が多くて。
私が一つの場所をつぶす原因になるんだと思うと、申し訳なさと悲しさと悔しさで、バイトの帰り道に少しだけ泣くこともありました。

閉店する頃になってようやくお姉さま方から褒められることも増えてきたと実感していたので、余計に悔しさもありました。
閉店2週間前ほどからレジで常連さんに閉店をお伝えし、
店のスタンプカードの特典を使い切るよう促す毎日。
さみしそうにしてくださる方、これからどこで朝の時間を過ごそうかと考える方、最近ここいいなぁと思って通ってたのにと言ってくださる方。私のこれからを心配してくださる方。
私が勤務したのは約2年間ですが、この場所は、確かに憩いの場所だったのだと感じました。

金融街の朝日を録画して、最後の日を迎えました。
レジ待ちの列ができるほど、多くのお客さんに来ていただきました。
感謝を伝えてくださるお客さんもいらっしゃいました。

お客さんに迷惑がかかるので、もう二度とカフェ店員はしないと心に決めました。育ててくださったバイトのお姉さま方、店長さん、お客さんに感謝の気持ちしかありません。2年間のバイトでもうすっかりコーヒー好きになりました。

【後日談】閉店後の店の跡地に行ってみた。


就職活動も終盤になり、対面の面接が増えたころ。
ちょうど面接会場からバイト先だったカフェの場所まで歩いて行けるとわかり、寄ってみることにしました。

コンクリの無機質な店内はそのままに、カフェ兼花屋&アパレルというような土日でも人が訪れるそうなおしゃれな店舗になっていました。

隣の大型オフィスビルの1階のカフェには、元常連さんが一人いました。
私のことはきっと覚えていないだろうから、心の中で会釈をしました。
そのカフェの窓辺の席でスパイスから作ったチャイラテを飲みながら、
ぼーっとしていました。
うちの店はMoninシロップのチャイだったなぁと思いながら。
他の常連さんも元気だといいなぁと思いながら。

今でも、バイト先がつぶれた一因に自分がいると思っています。
ただ、コロナ後も続く在宅勤務の流れに逆らうことはできず、
金融街の多くの飲食店は土日も集客できるよう、おしゃれで楽しい店舗に変わってきています。
そんな金融街の変化の中にうちのカフェもあったのだとも思います(平日のみの営業だった)。

これからも、バイト中にたくさんミスした反省と朝の時間を有効に過ごす素敵な常連さんたちの姿は忘れないでいたいと思いました。
お手本にしていたいとも思っています。
そして、未熟な自分を見守り叱ってくださる人がいたこともずっと覚えていたいと思いました。

1つだけ自慢できることがあります。
一度だけ、バリスタさんですか?とお客さんから聞かれたことがあります。
ただのバイトです。すみません。と答えたけれど、嬉しくって嬉しくって。

私のバイト先はつぶれました。
今も国内に系列店舗はありますが。
金融街からカフェが姿を消しても、
日々為替や株価をチェックし、忙しなく働く人たちは、
変わらず今日もどこかでコーヒーを注入して戦っているのだと思います。
かつての常連さんに今日も憩いの場所がありますように。

長くなりましたが、読んでくださりありがとうございました。

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