古地図で発見!現在伝えられている『庚申街道』のあれれ?
『庚申街道』についてインターネット上で調べ、実際に歩いた人の情報を頼りに『庚申街道』を巡ってみたけど、おそらく多くの人が間違ってる?
だって…
古地図に道がない場所を通ってる。
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現在の大阪市東住吉区照ヶ丘矢田あたり。
中臣須牟地神社の西側の道を北に上がるところまでは多くの人が合ってるけど、
そこから左折して西へと向かい、次に右折して北へと向かう道は、1928年の地図でも存在していないのです。
中臣須牟地神社の西沿いの道を北上し、旧住道共同墓地の横を過ぎて法華寺の前(南側)の道を左折し、法華寺の南西角を右折して北へ向かうんじゃなくて、
中臣須牟地神社から地蔵尊がある場所まで北上し、地蔵尊を左折して西へ向かい、突き当たりを右折して北へ向かい法華寺の西側を通る。
たぶんこれが正解。
たぶんだけどね。
昔はこの道しかなかったのだし、そういや確かにくねった道。
現在の地図ともぴったり合うし、"突き当たりを右に曲がる"というのは非常にわかりやすい。
🐵
この件で改めて思ったけど、地蔵尊は道標の役割も兼ねていたんじゃないかと。
見た目には新しい祠になってたから、この地蔵尊が実際にはいつ建てられたものかまではわからないけどね。
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世の中には見なかった方が良かったことや、聞かなくても良かったことや、言わなくても良いこともあるのだけど、、、
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この方法で道を追うと、他に疑問に思っていた道も解決できちゃう。
桃ヶ池あたりや、明浄学院高等学校の西沿い道を通るのではないこと(道はあるから通れないことはないだろうけど)など。
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そして最も驚いたのは、分岐した庚申街道はJR長居駅にまではまっすぐ伸びていなかったこと。
分岐した昔の庚申街道は、現在の辻調理師専門学校からは南へと伸び、西田辺の集落からは長池方面に東へと向かい、長池を超えたら現在のJR長居駅付近までJR阪和線の東側を南へ下る道しかなかった。
古地図ではわかりづらいけど、西田辺の集落から細い道を通って、山坂神社へもお参りした可能性もあるなぁと思われるわけです。
昔の人は信心深かったぽいし、街道を歩きながら、街道近くの神社や寺へも立ち寄って参拝したような気がします。
道の分岐点に道標にもなる地蔵尊もあるし。
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驚きました。
情報に踊らされたかな…
今度どこかの街道を巡るのなら、古地図で確認してからにしたほうが良さそうだな、と思いましたわ。
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