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長所

就職活動初めの頃、多くの学生が悩む話題がある。

それは、
「長所」
についてだ。

いきなり「私の長所は?」と自分に問いただしてみても自己肯定感の低い私には難しいことであった。

考えて考えてたどり着いた答えが以下である。

何も無い私だけど、唯一誇れることがある。それこそが私の長所だと。

それは、継続力である。

私は、14年間もの間ある種のスポーツを続けている。

周りを見渡してみても

「高校の3年間だけやってました」
「小4から小6だけやってた」
「サークルで〜」

などが多いと思う。

しかし、私は違う。

人生の半分以上もの間をそのスポーツにつぎ込んできた。

人が放課後友達と遊びに行く間
人が文化祭、体育祭など楽しんでいる間

ほんのひと握りの青春を1つのスポーツに打ち込んだのである。

勘違いしてもらいたくないのは、嫌々やっていたわけではない。
そのスポーツ自体は、好きだし好きだからこそここまで続けられているのだと思う。

じゃなきゃ、とっくに辞めている。

しかし、そのキャリアの中には辞めたくなったことも多々あった。

試合に負け、自分の弱さを目の当たりにした時
クラブ内関係
明治的考えからの精神的・肉体的疲労

など様々である。

その中でも1番キツかったのは、3番目の
「明治的考えからの精神的・肉体的疲労」
だと思う。

今は、どこも決まりが整っているため話に聞くことは、ほぼないと思うが昔は、本当に凄かった。

何が凄かったのか?王道的なのが

「1年奴隷、2年平民、3年天下」

ある程度強豪校でスポーツに打ち込んでいたのでいる人なら1度は、聞いたことがあると思う。
また、体験している人も多いのではないかと思う。

言葉の通り、1年は、奴隷である。

先輩の言うことは絶対。掃除、洗濯、パシリは、当たり前。先輩の言うことに対して「No」は、ない。

そして何より苦痛だったのが

先輩からの
「なんか面白いことして」
の一言であった。

先輩が納得しなければご指導が入るというものである。その他にも先輩方の気分によりご指導が入る。

これが1年生の日常である。

誤解は、裂けたいのだが私自身が3年生の時、指導することはなかった。
むしろ、私たちの代から無くしたと言っても過言ではない。

ある意味この縦社会を生きたからこそ
「人として大きくなれた」
そう感じている。

そして、今も続けている。

だが、それらを全て私1人で乗り越え続けて来ている訳ではない。

親身になって下さる先輩、同級生、何も触れることなくただ温かいご飯と家庭を与えてくれる家族

多くの人の支えがあったからこそ続けることができているのだ。

そこで私は、また1つ学んだ。

「人は、1人では、生きていけない」

有名な言葉にあるように

「人は、支え合って生きている」

これは、本気でなにかに打ち込んでいるい人間
挫折し苦しみながらも這い上がってきた人間にしか分からない事だと思う。

私が辛い時には、支えてくれる友がいて
友が辛い時には、私が支える

そうして、困難を乗り越えて
大きくなっていくのである。

そして、
それを知っている、知れている事こそが私の1番の長所だと言える。

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