祖父の話②

おじいちゃんの亡くなった日の話。


私は小学生だったが、授業の途中で先生から
「お母さんが迎えに来ているので、すぐに帰りなさい」と言われ、教科書を閉じ、荷物をまとめて、ランドセルを背負って、教室を出た。
祖父は、父方の、言わば舅になるのに母は明らかに泣きはらした顔をしていたのを覚えている。
この時点で、私はまだ【死】の意味が解ってなかった。

無言の母と、家に戻るとすぐに父の実家へ向かった。

正月やお彼岸、節分や年三回のお祭には来ていたし、それ以外にも親族が集まることは多かった。

いつもなら賑やかなのに、その日は誰も喋らない。動きもしない。
部屋の真ん中にはおじいちゃんが寝ていて、次々と訪れる人がいて、子供ながらに静かにしていなければいけないと感じた。

身近な人の死に直面したのは、その時が初めてで、【死】ということがどういうことなのかわからなかったのに、何故か鮮明にその日の光景は覚えている。

訃報を知らずに訪れた人がいた。
おじいちゃんに食べてもらおうと餃子を作ってきた。そう言って、たくさんの餃子を入れた箱を風呂敷に包んで持ってきてくれた人。

精をつけて欲しいと、生きた鯉をタライに入れて持ってきてくれた人。

お礼参りに来た人は2本縛りの日本酒をぶら下げて入ってきた。

続々と訪れる人。
みんなおじいちゃんを慕って来た人で、まさか亡くなっているとは知らずに来ていた。

突然のことに泣き崩れる人。人。人。。。

おじもおばも、父も魂が抜けたように、掘りごたつのところで目を腫らして、項垂れて、身じろぎもせずにいた。

来客にお茶を出したり、状況説明をしているのは、嫁や書生さん、居候たち。


大きな家ではなかったが、田舎の信者さんの子供が東京の学校に行くとなった時に、心配で祖父に預かってもらいたいとか、祖父の許で修行をしていて住み込んでいた書生さんとか、血の繋がりはないが、親戚のように暮らしていた人たちがいた。
実は、私も大人になるまで他人とは知らなかったくらい、一族のひとりと信じていた人もたくさんいる。

もちろん、動いている人たちも目は真っ赤。
何かしていた方がまだいいと思えた人達が働いていた。

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亡くなったのは夜中だろうとのこと。
隣が医院だったので、すぐに先生に来てもらい死亡確認がされたが、それは朝になってからのこと。
先生をたたき起こしたとかではなく、診療が始まってからという時間だったそうだ。

その朝、一番に起きてきたのは書生さん。続いて居候たちも、結婚して家を出ていた兄弟以外の息子や娘も起きてきたが、みんな違和感を感じていた。
前にも話したが、祖父はとても早起きで、身を清めたあと、お祓いをして、6時には太鼓を打つ。
それは毎日のことで、何十年も変わらない朝の光景だった。

その日に限って、みんなが起きてきてもおじいちゃんは寝たままだった。
前日、夜遅くに相談者が来ていて、長い時間、話を聞いてあげていたことを知っていたので

「おじいちゃんも年だね!疲れて起きられないこともあるんだね。」

同居人たちは静かに支度をしたり、ご飯を作ったり、それぞれの役割をこなしていた。

さきほども言ったが、それほど広い家ではない。
隣の部屋で大勢が動いているのに一向に起きてこないのは不思議だったそうだ。
人の気配には敏感で、寝ていても玄関に来た人を招き入れるほどのおじいちゃんが、数メートルしか離れていない隣室で、大勢が動いているのに…

もしかしたら、具合が悪いのか?と、近寄っておでこに触れると平熱。触れられても起きないのは変だと思ったが、もう少し休ませてあげようとそのまま離れた。

学校に行く者、会社に行く者、代わる代わる食事を済ませ、出かけて行っても動かない。

さすがに不安になった時に、1人が叫んだ!

ありえない!!


慌てて駆け寄り、布団を捲って揺すってみた。
呼びかけても返事がない!
急にバタバタと大騒ぎになる。

朝からみんなが感じていた違和感。
おじいちゃんの寝ている向きが違っていたのだ。
前日の夜、布団を敷いたのは書生さん。
相談者の話に付き合い、客を送り出した後、祖父に布団かけて自分も寝たと記憶していた。
その布団が逆向きになっていたのだ。
着物も着替えている。
あまりの衝撃に、その後どうしたかわからないと同居人たちは言っていたが、話をまとめると、

祖父は夜中に自ら白装束に着替え、
北枕に布団の向きを変え、
そして………その時を迎えた。
ありえない!と叫んだのは御神前に足を向けて寝ていたからだ。

みんな違和感を感じながらも、祖父を思いやるあまり見逃していた。

夜中にトイレに起きた人が覗いた時には、いつも通りだったという証言から、亡くなったのは1~4時の間。

私が本家に着いたのは15時過ぎだったのに、おじいちゃんはまだ温かかった。
その時はただ、寝ているだけのような気がしていたが、のちのち人の死と向き合うことが増えていくと、亡くなってから10時間以上も経って温かいのは不自然だと知った。

おじいちゃんは神になったんだ!
そう思った理由のひとつでもある。



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