祖母の話③

おばあちゃんがいる生活は、とても良いものでした。
常に家に誰かが居るという安心感。
親に叱られた時に、慰めて、仲裁に入ってくれる逃げ場にもなっていました。
都会では核家族が増えて、こんな環境を知らない子供がほとんどかもしれない。

もちろん、おばあちゃんの方も同居している家族がいる安心感はあったはずです。

そのおばあちゃんが亡くなったのは、私も妹も結婚して、家を出た後のことです。
その二年前に、大英断をした父は亡くなっていました。
おばあちゃんは、父が亡くなった時は、
「親より先に死ぬ子がいますか!起きなさい!」
と、悲しんでいました。


それでも、母と末の妹と3人で暮らすようになって、楽ではあったようです。
入婿でもないのに同居してくれた父には気を遣っていたように思います。
それに、おばあちゃんの人生は、女系の家族で過ごした時間が長かったせいか、居心地は良かったようです。

そのおばあちゃん、前回書いたように死亡診断書には心不全と書かれていましたが、死因は自殺。


ある日、写真を破り捨てているおばあちゃんを見て、何してるの?と不思議に思って尋ねると、
知らない人の写真が残ってても処分にこまるでしょ?
と、書簡や年賀状なども破り捨てていました。
まぁ、おばあちゃんの私物ですから、その時はなんとも思わずにやり過ごしました。

実際は、もう準備を始めていたのに気付きませんでした。

和裁をしていたおばあちゃんは95歳の時に、
もう、人様の仕事は受けません。
と宣言して、針を置きました。
私が茶道をしていた時には、お茶会のたびに裄の足りない私の着物を直してくれていたおばあちゃん。
働きづめの人生でこの後、2年ほどはやっと余生と呼べる時間だったかもしれない。
その間にも、着々と進めていた終活を知るのはもっと後のことです。

それはある日突然のことでした。
「もうすぐ死ぬので、今日からご飯は要りません。」
そう言うと、起きて来なくなりました。
どこも悪くはないのに、自ら寝たきりを決め込んだのです。
周りは焦りました。
えっ?何が気に入らないの?
して欲しいことがあるなら言って!


別に何もないそうです。
気に入らないことも、して欲しいことも、何もないそうです。

母からの電話で実家に戻ると、ベッドに寝たまま、
良いところにきた!と自分の指から小さな小さなクズダイヤの付いた金の指輪を外してくれました。
それと、ルビーの付いた指輪もくれました。
これも人工ルビーでした。しかもヒビが入ってます。価値はありません。
どちらもリングの金の分だけです。

ルビーは、曽祖母が戦争時に唯一、お国に渡さなかった指輪だそうです。
末妹の誕生石だったので、こちらは譲りました。
クズダイヤの指輪は、おばあちゃんが曽祖母からもらった物で、今も私が付けています。
貴金属としての価値は無くても、私には大切なたからものです。

何拗ねてるの?と、明るく話しかけた私に、
それ形見分けね!と明るく返してきたが、決意は固いようで、その後も何度かお見舞いと言って訪ねるが、起きあがろうとしなかった。

そんな日が3ヶ月ほど続いて…
前にも話しましたが、その日、私は虫の知らせを受けて、実家に戻りました。

おばあちゃんは眠ったような安らかな状態でした。
曽祖母の頃からの付き合いのかかりつけ医に死亡診断をしてもらいました。
次の日、納棺のまえに孫達の手化粧をして、手足を清めて、旅立ちの服を着せました。

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