祖母の話①

父方の祖父の話は書いてきましたが、母方の祖母の話も書いてみようかと思います。
曾祖母や叔父から聞いた話で、真相はわかりませんが…



曾祖母と2人で暮らしていたおばあちゃん。
曾祖母は緑内障で視力を失っていたため、おばあちゃんがずっと世話をしていました。
おばあちゃんが亡くなるまで、知らなかった壮絶な人生。。。

曾祖母は東京で置き屋を経営する、実業家でした。芸者さんをお座敷に手配する、今で言う人材派遣業みたいなものでしょうかね。
女傑だったと聞いてます。

旦那さんと言われる人はいたようです。
でも、結婚はしていません。この時代にはありがちなお妾さんだった訳ではなく、生涯をその一人の男性と心を通わせていました。
結婚しなかった理由は、お互いに戸主だったから。って…
何それ?って話ですよね!?
私もよく知らないのですが、
昔は、戸主に任命されると、家から籍を抜くことが出来なかったそうです。
家督を継いで、家を守ることが義務になります。
普通は長男が継ぐそうですが、曾祖母は男子がいない家だったため、女戸主として家督を継がなければならなかったと聞いています。
もちろん、入婿を迎えて結婚することは出来ますが、曾祖母の場合、お相手も戸主だったためにそれも出来なかった。
そんな状況から実業家の道を選んだのかもしれません。

おばあちゃんは養女として、事業を継いで欲しいと貰われてきたそうです。
昔は、親族から養子を迎えて家を守ることは普通にあったそうですが、おばあちゃんの場合、全くの赤の他人でした。
クチベラシ。。。
貧しくて、食べるにも困った人が子供を養子に出す。日本が貧しかった時代のお話です。

13歳の時に四国から東京に来たおばあちゃんはどんなに不安で、心細かったことでしょう。
それでも、遊郭に売られる時代に、実業家のところに来たというのはまだ幸せだったのでしょうか?

その時代背景が分からないので、推測でしかありません。

のちに、おばあちゃんは曾祖母の薦めた人と結婚して、4人の子供をもうけます。
家の存続のために貰われた子ですから、跡継ぎを産まなければならなかったのでしょう。


やり手の実業家だった曾祖母の人生を狂わせたのは、関東大震災と戦争。
保険制度もなかった時代に、災害からの復興は大変だったと聞いています。
戦争時には、お国のためにと私財を投げ打ったとも…
焼け野原となった東京で、継ぐべき事業は無くなってました。


そして、おばあちゃんの旦那は荒れていきます。
見かねた曾祖母は離婚させます。
この時代、女は我慢することが美徳?当たり前?で、今のように離婚は簡単にはしなかったと思う。
ましてや、戦争で男子が少なくなって、1人の男性にトラックいっぱいの花嫁候補と言われていた時代に…
曾祖母の女傑ぶりは健在でした。

長男と長女をおばあちゃんが引き取り、
旦那さんが次男と三男を連れて家を出ました。
この頃には戸主制度は無くなっていたと思いますが、家督を継ぐ長男と唯一の女の子は手放せません。もちろん、全員置いていってほしかったそうです。
ただ、事業の再開も目処が立たない状況と、父親が譲らなかったので子供達を引き離す結果になったそうです。
父親が連れていった2人も結局は、今で言うネグレクト、育児放棄にあい、丁稚奉公という形で父親の許を離れてしまいます。


 

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