祖母の話②

曾祖母は愛情をもって養女であるおばあちゃんを育ててきたと思わせるのは…
おばあちゃんはずっと献身的に介護をしていて、亡くなってからも一緒のお墓に入れて欲しいと懇願していたことから、二人の間には本当の親子以上の何かがあったことは伺い知れます。
突然、親に捨てられ、田舎から出てきた13歳の少女と、男勝りの曾祖母との間にどんなに絆が築かれてきたかはわかりません。

戦後の混乱期と高度成長期をどう過ごしてきたかも聞いてません。
長男である叔父が働いて家族を養っていたと思われます。
曾祖母は92歳の時に亡くなりました。
何も変わりなく過ごしていて、普通の一日が終わり、床につき、
次の朝、起きなかっただけです。

目が不自由だったので、病気の時には往診に来てもらっていたかかりつけ医がいました。
その時も来てもらい、死亡確認をしてもらっても、死因が分かりません。
調べても見つかりません。
死亡診断書には[老衰]と書かれていました。

おばあちゃんも同じような亡くなり方をしてますが、死因は[心不全]でした。
心不全、心臓が止まったよ!ってことですよね?
まぁ、止まったら死んじゃいますよね^_^;
それは結果であって、原因ではないけれど…と思いながらも、そこがなんであったとしても、書類上の手続きの都合で、もう生き帰って来ないことに変わりはないのでいいんですけどね。

曾祖母が亡くなってからのおばあちゃんは、魂が抜けたようで、とても心配でした。
結婚して家を出ていた兄弟は、代わる代わるに訪問して、誰もが
うちに来て!一緒に住もう
と、言いましたが、おばあちゃんは曾祖母と暮らしたこの家を離れない!と頑なでした。
一周忌が過ぎ、三回忌が終わった頃にやっと緊張の糸が切れたように表情が和らぎました。

4人の子供たちは皆、おばあちゃんの苦労を知っていたので優しかった。
同居の申し出に対して、ポツポツと語り出したのはその頃から…

兄弟の多い父に嫁いで、姑は亡くなっていたが、手強い小姑に苦労していた母を見て、嫁姑の苦労を自分の子供にさせたくないと、同居を拒んでいたと知りました。
息子は仕事に出かけてしまい、家で長い時間を一緒に過ごす嫁の気持ちを思いやっての拒否だと知って、父は、
「じゃあ、決まりですね!(^-^)僕は三男ですから実家の問題はありません。僕には娘しかいないのでそのうち嫁に行くでしょうから、広い家も要りません。日中、僕は仕事で居ません。唯一の実の娘と過ごすならお互いに気を遣わずに済むし、おばあちゃんがここを離れたくないなら僕らがここに引っ越して来ますよ!」

優柔不断でそれほどの経済力もなく、母にも苦労を強いていた父の英断には驚きました。

そして私は小学校を転校することになり、家におばあちゃんのいる生活が始まりました。

父の実家は神社でしたが、母方は仏教で近くのお寺にお墓がありました。
家には神棚と仏壇があって、朝一番の仕事は、神様と仏様にお茶とご飯を供えることでした。
家督制度が無くなっても、おばあちゃんは毎日、過去帳を捲って、今日はこの御先祖様の月命日だと言ってました。
足が悪くなるまでは、曾祖母の月命日にはお墓に出かけて、花を供え、お参りを欠かさずに。

そんな環境も私はありがたいと思っている。
同居してなければ、見なかった光景だし、やるかやらないかは別としても、知っているか知らないかの差は大きい。


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