挑戦してない

コロナにかかった。
先週は40℃の熱が丸3日続き、熱が落ち着いたあとも咳が続いている。
正直、経験したことのないつらさ。
カンピロバクター食らった時よりも、死ぬかと思った。

意識朦朧としてた時には、大げさでなく「死んでたまるか」と思った。
まだ死ねない。本気で思った。
何を大げさな、と笑ってもらって構わない。
解熱剤も切れ、病院にも受け入れ不可を宣告された時、最後に頼れるのは自分の精神しかなかった。

まだ死ねないと思ったのは、人生に未練があるから。
あそこに行ってない、これを経験してない、見てない、食べてない。

こんな未完成の状態では、到底満足して死ぬなんて無理だ。
そんな風に、これまでの人生を振り返り、これからの生き方を朦朧と考えていた。

これまでの人生、
「勝負に出てこなかった」
ことがずっと引っかかっている。

進学先も、就職先も、
「行けそうなところ」がベースで、
「行けるかわからないけどめちゃくちゃ惹かれる」ところに出会わなかった。
そこまで気合い入れて探してなかったから。

行った先に、選んだ道に、後悔はない。
ただ、「気合い入れて探してこなかった」自分に後悔している。

じゃあ、この先、自分に出来る勝負は何か?

「負ける戦いに出て、ちゃんと負ける」ことが第1歩かもしれない。
そこで、負ける経験をする。恥をかく。損をする。

これまで、極めて不遜な言い方をすれば、負けてこなかった。
それは能力がない分、勝てるフィールドを慎重に選んで、とにかく負けない戦い方を選んできたから。

高校の野球部なんか典型的。レギュラーが絶対無理だから3塁コーチャーとしてベンチ入りを取りに行く、最も消極的な戦い方をした。
あの時に後悔はないけど、今の見方だとあの精神性はもう負けてる。

傷つかないことを最優先にしてきた。
こういう生き方は、ダサいと思う。今の自分が目指したい姿ではない。

きちんと勝負する。
白黒がはっきりするのを、先延ばしにしない。

目に見える勝負事や恋愛とかに限った話ではない。
自分が挑戦だと思うことは、何でも勝負事になる。
初めてのお店でも、場違いなレストランでも、なんでもいい。ここに払うお金と時間は、唯一無二の投資だ。

きちんと勝負し、その結果を潔く受け止める。
もう25になる年だから、周りと比べたら遅いかもしれない。
それでも、始めるに越したことはないと信じている。

この文章を読んで役に立つって人は、この世に1人もいないかもしれない。
今回に限っては最悪、自分だけの文章でもいい。単なる決意表明。

でも、もし読んで、自分も何とかしよう、人生少しずつでも変えていこうという気持ちになる人がいるとすれば、それは嬉しいことだ。

人生に、大挑戦と大失敗を。
叶うなら、少しの成功も。

そんで、美味い飯と酒を良い仲間と。

これができたら死んでもいい。今はまだだ。

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