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にわかが語る エヴァに乗らなくていい世界

一歩間違えると「最近ハマってるんだけど、エヴァンゲリオンって知ってる?」と言ってしまいそうなくらいアニメに疎い僕なのだが、エヴァ好きの彼女と映画館デートがしたいというポカポカする動機から、序破Qを住よしのきしめん如くかきこんで、シン・エヴァンゲリオンを拝見してきました。

作品の細かい内容は追いついていないが、めちゃくちゃふわっとエヴァンゲリオンという世界知った所感を記したい。※ネタバレありです。また細かい設定は詳しく知らないので、あくまで主観ということでご容赦を。

自己と環世界

エヴァの世界観・ストーリー展開をざくっと表現すると、

環世界(自己以外の世界)に対して自己を開いたり閉じたりして、丁度良いポイントを探していく話。

のような感じがする。ローランドさん的にいうと俺か、俺以外か、というふうに誰もが自分と周囲を明確に線引きしていて、基本的にはそれをガッチリ守っている。なぜならそこが崩壊すると、矛盾するものと交わり、自分を否定することになるから。

しかしゲンドウのようにあまりに環世界を恐れて閉じすぎると、進歩した認識を得られないまま突っ走ることになる。そしてそのまま突っ走った先に求めているものは、自己・個性がなく全てがコモディティ化された開かれすぎた真逆の世界。シンジくんは、そこに涼しいそよ風が入る開け具合を求めている気がして、時には恐怖と戦い、矛盾を受けて入れて成長していく姿が印象的。

シンジくんの成長といえば、エヴァ搭乗をはじめは強いられていたが、段々と内発的に意味付けをしていく姿も人間的な感情がしてグッとくる。レイが命令でしか動けない入力=出力の機械的な要素と、シンジくんが本部からの命令を無視してシンジくん固有の挙動という人間的というか生命的な要素が対比されているところもおもしろい。エヴァの大テーマの一つとして「生命の尊さ」みたいなのがあると思うが、それをシンジくんから存分に感じられる。

だからといってレイから何も感じないかというとそうではなく、シン・エヴァの中でものすごく感動したレイのシーンがある。それは、レイが赤ちゃんのツバメを愛でているところ。複製であるレイが、トウジと委員長のある意味複製(表現適切でないかもしれない)であり、自分と同じであるツバメを愛でていること=レイの自己受容、みたいなものを感じてグッときた。レイがツバメは二人の子供であるみたいな概念を理解しているかは置いといて、ぼくの勝手な解釈として感動した。

さらにいうと、先程の機械的と生命的の対比の内容と矛盾するが、このレイがツバメを愛でるシーンから、機械と人間の差もよくわからなくなった。話は逸れるが、自分もモノづくりに携わっているし、モノに命懸けで魂を吹き込んでる人を見ている。人間の、手とか足とかそれ自体は魂と環世界のインターフェースだとすると、機械のメカ的なものと同じ。裏をかえせば、機械も魂が吹き込まれていると信じられれば、人間との差がない?とも思える。

エヴァに乗らなくていい世界

ではここまでを踏まえて、作品のゴールでもあるようなシンジくんとレイが言う「エヴァに乗らなくていい世界」とは何だろうか。僕的には、

自分自身の器官で環世界を認識できる世界

自分の目や耳で素直に外を感じ取ることができ、だからこそ生じる他者との違いこそNEWで価値があるよねという世界。

作品を見ていて一番心苦しいのは、エヴァパイロットは皆、自己と外界との繋がりや価値をエヴァという作られ、本部から制御されたインターフェースを通してしか感じていないこと。人間は本来、自分の感覚を制御し合うことも押し付け合うことはできないはず。

(エヴァとパイロットはシンクロしているらしいのだが、自分の器官は世界で自分しか持っていない、自己とは別物で所有しているものだと思っているので、シンクロするってどうゆこと?という謎がある。)

自分自身の感覚があるからこそ、同じもの見ても他者と認識が違ったり、自分の中でも時と場合によって違う。そして自分の感覚で認識したからこそ、認識したことのないものが出てくると困る。そして困ったからこそ整合性をとろうとして別のNEWなものが出来上がる。僕たちが生きる世界は空間的にも時間的にもすごく狭いから、この繰り返しで環世界を広げていくことに価値がある。

求めているこの、エヴァに乗らなくていい世界。作品内ではすごく実現が難しい世界だが、、これって普通にいま自分がいるあたりまえの世界じゃん。

そう、エヴァを見た一番の気付きは、いまの自分がいる世界がめちゃくちゃ「有難い」こと。ここまでくるために、加持さんやインパクトのように犠牲になった人が歴史上たくさんいて実現していること。

巷ではエヴァについていろんな考察がなされているよう。こうやって皆が自分自身で感じて、違う考察がなされ、それぞれが補完しあって1枚の絵が出来上がる。ゲンドウの本当の狙いは、こうやって見た人それぞれがあーだこーだ言い合う今起きている事なのでは。



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